22)動物からの進化・本音と建前

虫や動物にも生命エネルギーに付随して自由意志は与えられているが、これを行使することは稀なことであり、その行為や身体機能の殆どは、あの世からやって来るその種に与えられた“本能”や“自律的調整力”に支配されている。又、身体とその構成要素も、その根源的な力は、やはり、あの世由来の物理法則や化学法則に支配されている。これらの力が、混在し、融合し、自律的にバランスを取り合って、虫や動物は生きている。

「人間は自分の力で自由に生きている」と思っている人は多いが、人間とて例外ではない。自由意志を行使する確率が虫や動物と比べてやや高いだけなのだ。このような人間ではあるが、上記諸力を顕在意識上に引き出し、意識の光を当てることで、或る程度までは、これらを制御することができる。この点で、人間は、虫や動物と比べれば、多少の進化は成し遂げている。上記諸力の中に生かされている人間という立場を謙虚に捉えることは重要なことではあるが、この力の中には、例えば、自己中心主義に繋がる動物由来の過剰な生存本能など、そこから脱却しなければものも含まれている。人間が更なる進化を目指すためには、これらを顕在意識上に引き出し、自由意志によって、制御する必要がある。

このような視点に立って、本音と建前を考えてみよう。

単純化して表現すれば、本音は、個的な生存本能をベースとする感情・感覚からやって来ている。一方、今の時代の建前は、理性を優先させ、自由・平等・民主をベースとする人類全体の繁栄を目指すものである。そして、人間であれば誰もが持つ、この本音と建前の間にあるギャップが問題なのだ。この建前は、「我々が向かうべき方向を示す理念と一致する」と考えても差し支えない。この方向に向かって、人間は進化すべきであると筆者は考えている。だが、同時に、本音も考慮しなければならない。そうでなければ、実際的な力は生まれないからだ。

どこかの国の大統領のように、本音をさらけ出して、これを正直と称し、理念をないがしろにするやり方もある。だが、これだけの科学技術力を持ってしまった人間社会に於いて、理念なき自分ファースト主義の行き着く先は、誰にでも容易に想像ができる。一方、従来からの本音と建前の不一致を隠蔽して一般民衆を欺く統治のやり方にも問題はある。これを続けていれば富の分配の二極化は益々加速する。社会は腐敗し、テロが頻発し、若者は未来に希望が持てなくなるのである。

では、どうすればよいのか。

まず、既に、その力を持っている人々が、「動物由来の過剰な生存本能が潜在領域で作用している状態」に、あらゆる機会を捉えて、個別に、詳細に、顕在意識の光を当てる。意識の光が当たれば、この潜在的な作用は顕在化し、意識、正確に表現すれば、自由意志が、これらを制御し始める。力のある、より多くの人々が、これらを日々繰り返し、自ら、先に、進化する(進化した人々は幸福感・充実感・安定感を得ることができる)。後は、一般民衆に、これを広めなければならない。ここが一番難しい。口コミ、マスメディア、SNS、色々な方法がある。一般民衆に伝播する最も効果的な方法は何か。誰を動かせばよいのか。政治的にやるべきなのか、文化的にやるべきなのか。因果の法則をどう回転させればよいのか。うまくいけば、本仮説による原型変化・集合記憶感情伝達・創造循環(「この世に一番近いあの世の領域・その1」の項を参照のこと)が働きだして、人類は、本音と建前が一致するところまで進化できる。

人類進化の現段階では、どのような制度も法規制も、この「人間であれば誰もが持つ本音と建前の間にあるギャップ」を埋めることはできない。権力を握る者は、一般民衆の心がこの状態である限り、制度も法規制も自分達の好きなように解釈・適用することができる。人類は、種の心(人類全体)に進化がなければ、いくら科学技術に優れていても、いくら物質的に豊かであっても、早晩、自滅する。因果の法則とは、実に、そのようなものなのだ。

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