28)心と体の循環

唯物論では、体が全てであり、心は、その派生現象(雑音+アルファ)と考える。
本仮説では、逆に、心の世界に、超知的な設計・創造者が存在し、その非物質的なエネルギーによって、生命体の概念的設計が為され、進化を内包した物質としての体が出現したと考える。心の世界は、俗に言う、あの世であり、体の存在する世界は、この世である。あの世は、時空を超越した次元にあり、これらに制限されることはないが、因果の法則とその力には従っている。この世は、時空に制限され、更に、因果の法則、取り分け、物質に直接関与する物理・化学法則とその力によって形作られている。別の角度から表現すれば、この世の存在は、生命体の感覚器官(物理脳を含めて)を経由することで、あの世の設計図を投影して、心の内面に物質として結晶化する。個々に結晶化したそれらは、あらゆる生命体の心に共通して働く時間と空間の枠、並びに、因果の法則、特に、物理・化学法則の力に従って、生成・変化・進化していく。般若心経は、これを「色即是空・空即是色」と言っているのだが、コンピュータの発達した現代では、「この世は物質絡みの生命体(非物質的生命体も存在するのでこう表現する)の全感覚器官を通したバーチャル・リアリティーである」と言った方が理解され易いかも知れない。

このような前提に立って、心と体の循環を考えてみよう。
体は、本来、健全・健康なものとして設計されている。これに従って、遺伝子などが配列され、体は作られ、変化していく。しかし、コンピュータ絡みの装置で作り出すバーチャル・リアリティーと同様に、この世での経験、その感覚刺激には、心に影響を与え、心を変化させるものがある。こうして心が変化した場合、それに沿って、あの世の設計図も変化するのである。あの世の設計図が変化すれば、思考・感情・行動パターンも変化し、物質としての体も変化する。この変化が、又、この世での経験、その感覚刺激に変化を与え、これが、循環的に繰り返される。集団的に長い年月を通して先祖から子孫に共有される変化は、文化や本能が生み出される要因の一つであり、更には、現在の進化論に補足追加すべきものと考えるが、その説明は別項に譲って(「集合記憶感情伝達」「文化の伝承」の項を参照のこと)、此処では、個的な幸せ感と健康について焦点を当ててみたい。

現代医学の進歩によって、幸せホルモンと称せられるドーパミンやセロトニンがよく話題に上る。近年、この他にも、心の状態を体に表現するための神経伝達物質、所謂、メッセージ物質は、多数発見されている。上記の通り、心と体は循環する仕組みに成っているので、本来の順序、心→体ではなく、体→心→体の経路によって、ドーパミンやセロトニンを外部から投与しても、幸せ感をあの世から引き出すことはできる。これを以って、唯物論者は、物質が感情を生み出した証拠としている。しかし、本当の意味で心が幸せではないから、この状態は長続きしない。
本仮説では、感情の源たる非物質エネルギー、この世との絡みで具現化した感情は、共に、あの世に存在すると考える。この世での経験から受ける感覚刺激を起点にして、心は、それらを、無時間で、内面に取り込む。そして、心の内面に取り込まれたものを体に表現する為にメッセージ物質が働く。これが本来の順序である。
全て、あの世の設計図に描かれた仕組みが働いている。あの世にベースが無いものは、この世に存在しない。あの世があって、初めて、この世は存在し、あの世とこの世は循環によって創造され進化していく。
繰り返しになるが、この世での経験から受ける感覚刺激を起点にして、心は、感情の源たる非物質エネルギー、この世との絡みで具現化した感情を、無時間で、内面に取り込む。そうであれば、幸せ感は、この世の経験に直結しているものではないことになる。通常であれば、この世での辛い経験から幸せ感を心の内面に取り込むことは、非常に難しい。だが、この世の辛い経験とそれを起点として無意識に取り込んでしまうあの世からやって来る辛い感覚は、別個のものであり、切り離すことができるということを悟れば、そこに、秘密の大扉が開き始めるのだ。辛い経験を進歩のための教訓と捉えるポジティブな視点を持つことも、辛い経験を起点として高度の倫理感覚をあの世から取り込むことも可能となる。それどころか、道端に咲いている小さな花を見て幸せになることも、いつも一緒に居る家族を見るだけで幸せになることも可能なのだ。心があの世から取り込むものが、この世の全ての経験の意味と価値を決定するのである。
但し、この事実は、無意識にあの世から取り込むものが既に幸せ感であるような、この世の、所謂、幸せな経験を低く見るものではない。安定した生活、美しい自然、素晴らしい芸術作品などを起点として、あの世から多くの素晴らしい意味と価値を伴う感情を本能のように取り込むことは、人類が、現時点までの進化により獲得した宝物なのだから。

話を健康に移そう。
本仮説は、あの世の設計図(別項では原型と呼んでいる)が、この世に映し出される形で、個々人の体とその状態に表れていると示唆している。これに従えば、心があって、初めて、体は存在し、心と体が受ける感覚刺激は、循環して、お互いを変化させる。
健康を崩す主な原因は、心の側にある場合と体の側にある場合が考えられる。いずれの場合も、上記の循環を想定すれば、治療は、常に、両サイドで行う必要がある。唯物論の影響によるものか、現代医学は、体の側に視点を置いているが、これからは、心の研究も真剣に進める必要がある。簡単に言えば、「体が笑えば心が安らぐ、心が安らげば体が健やかになる」という話の医学的な分析・解明(どのように心が関わってメッセージ物質が分泌されるのかを含めて)である。
このような分析・解明とは別に、「心が生きたいと思っていること・心が元気になれると信じていること・心が楽しいと思っていること」から生じる非物質的エネルギーの効果を何らかの統計的手法で客観化できないものかと、筆者は考えている。因みに、筆者の中学時代、手のひらに頑固な魚の目が幾つも出来て困っていたことがある。ところが、或る日、魚の目を眺めているうちに、爽やかな風のような感覚が心に湧き上がってきた。魚の目が消えるような気が何となくしたのも不思議である。翌日には、魚の目が全て消えてしまっていた。本当の話である。
この方面では、現代医学が直面しなければならない差し迫った課題は多い。
「延命治療はどのような場合に意味と価値を持つのか、転地療法・気候療法などは、直接、体に働くばかりではなく、心を経由しての治療効果があるのではないか、精神疾患の本質原因はどこにあるのか、心の状態が認知症に影響してはいないか」などは、唯物論に傾いた既存の定説を超えて、広く深い視野を持って研究されなければならない。

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