ネットワーク・ガイアガイアとは?

 地球上での繁栄を謳歌する人類は、今、二十一世紀に、新局面を迎えつつある。人類自身が作り出してきた自然環境破壊を含めた数々の社会と心の問題は、ここ数万年来人類に繁栄をもたらしてきた自然宇宙の循環軌道に変化を与え始めているのだ(ここで言う自然宇宙とは、物質宇宙と心の宇宙を合わせたもの、その詳細については、ガイドライン本「永続する自然社会」を参照のこと)。今のままの方向を維持して更に社会経済活動を進すれば、「人類は近い将来自滅する」と断言しても過言ではなさそうだ。

 これは、敢えて簡単に言ってしまえば、人類の80%を占めるグループ、自分自身でよく物事を考えることなしに、周りの「パワフルなもの、流行りもの、面白いもの」の目先や外見に同調して、しかし最終的には、社会の方向を決定するグループ、即ち、人類の代表・一般民衆の意識問題である。なぜなら、この80%が、人類の10%を占める自分で考え行動する個性的な人々の提唱する様々なアイデアの中身に、先々のことや目に見えないことまで考えた上で同調すれば、この差し迫った問題は自ずと解決するからなのだ(この80%、10%の詳細は、ガイドライン本「永続する自然社会」を参照のこと)。当然のことながら、一般民衆の意識レベルが進化すれば、人類は、持続可能な社会の構築に向かうのである。

 自分自身で考え行動する人々の最良部分は、既に、人類が生き残るために必要な意識レベルに到達している。人類の存続を危惧する理由は、この意識レベルにある人々が一般民衆の同調を勝ち得ていないという点にあるのだ。それどころか、一般民衆の多くは、これらの人々とは正反対の現代社会を実質的に支配運営する大企業と政治経済パワーの複合体に同調しているのである。この複合体は、一般民衆にパンとサーカスを与えている。また、目先の利益を提示する、その手法は現世的で単純明快、極めて分かり易い。一方、進んだ意識レベルにある人々の主張は、場合によっては、百年も先の未来まで考えたものであり、彼らによる目に見えない難解な説明は、人類の代表たる一般民衆にはなかなか届き難い。

 だが、お金で象徴される現世的で分かり易い目先の利益の背後には、拡大する経済格差、荒廃する人間の心と社会環境、破壊されつつある自然環境が存在している。これらは、紛れもなく人類が自滅の道を歩み始めていることを意味しているのである。

 自然宇宙の存在や人間の心を取り扱う哲学は、三千年前からあまり変わっていない。一方、この間、科学の分野では、その応用技術を含めて、飛躍的な進歩が達成されている。このギャップが問題を引き起こしているのだ。

 哲学は、科学(数学を含めて)では証明のできない、科学の大前提や背景を探求するものでもある。心に湧き上がる論理、その底を流れる絶対感・真理感の探求は哲学の範疇である。また、「科学する人間そのものは、なぜ存在し、何をすべきものなのか」を科学自身が解明することはできない。従って、哲学を置きざりにした現代科学は、危険で偏った基盤に存在している。「科学者の心に湧き上がる倫理感情が科学の成果とどのような位置関係にあるのか」などと考えれば、この点に於いて、筆者が伝えようとしていることは容易に理解できる筈だ。

 一方、哲学は、科学の対象範囲の事象も数多く取り扱ってきた。この領域では、この三千年来、哲学(宗教を含めて)は、人々の信頼を失い続けている。例えば、アリストテレスやプトレマイオスの天動説は、コペルニクスやガリレオの地動説に置き換えられた。これらの事実が、「科学で証明されない哲学の領域は意味と価値がない」とまで主張する機械論的唯物論者を生み出したのである。

 だが、科学は、その取り扱う範囲に限界がある。自然や人間の活動は、前述の通り、科学の対象範囲を超えているのである。

 では、どうすれば良いのだろうか。新しい哲学は、科学が明らかにした事象と矛盾するものであってはならない。即ち、新しい科学的な哲学が、科学の対象範囲は勿論のこと、その範囲を超えた領域をも、科学的な手法と論理・推論で探索する時代に入ったということである。神様だけが結論付けられる前提や判断に対しては、仮説であることを明示する必要がある。神ではない人間(例えば、新興宗教の教祖など)の主観や直感が、ただそれだけで、「真理であり意味と価値がある」という主張は、最早、科学的に容認できないのだ。これらは、代わりに、「仮説としての真理、仮説としての前提」という位置付けを科学的手法によって与えられるのである。

 従って、これからの時代は、仮説としての前提上に、論理的矛盾のない哲学体系を、ガイドラインとして提示するスタイルが要求される。哲学は、仮説基盤の上の体系として、真理の探求に優先して、自然・社会・人間に役立つことを、その第一目的とするものに変化するのである。ここに、哲学と宗教の明確な分離が行われる。

 「ネットワーク・ガイアガイア」とは、地球全域・百年先を見据え、このような科学的哲学をベースに、一般民衆の基礎意識と同調を図ろうとする新しい組織(一般社団法人)である。

 この活動は、政治運動でもなければ、宗教でもない。別の言い方をすれば、個人をベースにしながらも、個人を超えた人類という種の保存を考える試みである。この活動は、結果的には、人間社会の仕組み変化をもたらすものだが、外科的処置を必要とする政治や宗教とは一歩離れて、長い年月を掛けて一般民衆の心にある基礎意識の進化を促すものである。気長さと寛容さが必要な心の共振運動と言ってもよい。

 この試みの具体的な方法の一つに、インターネットの活用が考えられる。地球規模の柔軟なネットワークを構築して、地球生命体(ガイア)の心と頭脳の一部になろうとするものである。このネットワークは、一人の指導者のビッグ・ネームやその原典が独り歩きするようなものではない。このネットワークは、各所にいるメンバーが、その自発性と自己責任で理想を語り、大きな方向性を共有した巨大な合成頭脳を作り上げるものなのだ。メンバー個々人の個性・経験・専門が、幅広く深く長期にわたって、反映され累積されなければならない。

 こうして作り上げられる合成頭脳は、当然、前述した科学的哲学をベースとするものである。しかし、論理や知識だけを誇るものではなく、人類永続のために必要不可欠となる愛と倫理感情・自然との調和(特に、自然の循環バランスとの調和)を大きな方向性維持の基盤とするものでもある。

 また、この活動は、前述の通り、我々の基礎意識が向かうべき方向性を示すガイドラインの普及を図るものであり、飽くまで、どの方向に向かうのかの最終意思決定は、当該個々人に委ねられるものでなければならない。

 この合成頭脳が或る大きさまで成長し、方向性を共有する意志エネルギーが或る一定量を超えた時点で、変化は始まる。一般民衆の基礎意識が、この合成頭脳との同調を開始するのである。詳細については、ガイドライン本「永続する自然社会」で提唱される仮説「集団記憶伝達・創造循環」を参照して頂きたい。

「永続する自然社会」 創造書房発行・堀込清一著
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