27)感情の源と具現化感情

感情の源は、あの世の本質の領域に、時間や空間を超越して存在している。個々人の大脳が感情を生み出しているという現代に広く浸透している唯物論信仰とは正反対の仮説を提起するものである。なぜなら、感情の源とは普遍的なもので、特定の個人に関係なく、時間と空間を超えて、同質の非物質エネルギーを常に供給しているからである。

筆者は、この世の様々な刺激に絡んで、この源をベースにして心の中に具体化した個々の感情を、具現化感情(これも、あの世に存在する)と呼んで、普遍的な源のエネルギーと区別している。個人としての具現化感情、更には、集団(祖先から子孫への時間軸も含めて)としての具現化感情が、生物進化や個々の集団の文化形成に、具体性を持って、大きな影響を与えていると考えるからである(この詳細については、別項を参照のこと)(従来からの生物進化説や文化形成説を否定するものではなく、それらを補完する形で、この仮説を提唱している)。

感情の源は、生物の具現化感情に意味と価値を与えるものであり、意思決定や論理の方向性を左右する極めて重要なものである。筆者は、生物が生物たる所以は、この非物質エネルギーが肉体に供給されていることだと考えている(植物や単細胞生物にも、或る種の感情、少なくとも、生きる意志・繁殖する意志などは存在する)。物質としての肉体を幾ら分解・解析しても、この視点に立たなければ、生命現象は正しく把握することができない。ハードウェアだけを分解・解析しても、ソフトウェアを忘れてしまっては、コンピュータが理解できないのと同じことだ。

ところで、法則・論理・概念・イメージ・記憶などにも、その源のエネルギーは存在する。あの世の本質の領域に、感情の源と同様に、時間や空間を超越して存在しているのである。我々の見るイメージは電波の中に存在しない。我々の記憶はコンピュータの記憶回路にも大脳の細胞にも存在しない。これらは、全て、物質的な構造・仕組み・組み合わせを刺激として、源のエネルギーをベースにした、あの世に存在するもの、を取り込むこと(刺激との同調反応)から心の中に生じるものなのである。あの世に存在するもの(具現化した法則・論理・概念・イメージ・記憶なども含まれる)を取り込むことから心の中に生じる事象、それが、本質的な意味での生命の活動・経験である。

この視点に立って、人間を見れば、本来の善人・悪人は存在せず、善を取り込み易いか、悪を取り込み易いかということだけになる。又、同じ物質的刺激であっても、個々人が心に取り込むものは千差万別であることに留意したい。同じ風景を見ても、心で見る風景は、それぞれ異なっているという意味だ。そして、人によって心の中で微妙に異なって見えるものが、本質としての風景なのである。心で見るこの風景の中には、法則・論理・概念・イメージ・記憶・感情などが複雑微妙に絡まり合って存在している。現段階の人類では、言葉であろうが、音声であろうが、画像であろうが、その他の芸術的方法であろうが、これらを正確に表現することは到底不可能であることを謙虚に認識しなければならない。

集団的な意味に於いて、何をどのように心に取り込むのかが、今後の人類進化の方向を決定する。現段階では、本能的に、又は、それに近い形で紐付けられている無意識的な取り込みが、その大部分を占める。だが、顕在意識の力を強めて潜在領域で生じていることに光を当て、それらを顕在領域に引き出すことは、限定的ではあるが、現段階でも、可能である。そうすれば、本能的な動物的欲求やネガティブな怒り・妬みの情動から解放されることも、目先の利益を優先して自然環境の循環を破壊し続けることから解放されることも、可能なのだ。個々人に与えられた本質的な自由、即ち、自由意志(別項参照のこと)を駆使して、より多くの人々が、この点で、進化すれば、やがて、筆者が提唱する集合記憶感情伝達・創造循環の仕組み(別項を参照のこと)が働き始め、人類は総体としても進化し、更なる繁栄の道を歩むことになるのである。

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