31)仮想現実としての物質宇宙とその存在意義

物質宇宙、即ち、この世は、あの世に実在する原型を投影した仮想現実の世界である。この世界観・宇宙観は、今を生きる多くの人たちにとっては、奇妙に聞こえるかも知れないが、嘗てプラトンの説くところであり、仏教では般若心経の説くところでもあった。一昔前までは、唯物論者が大笑いするようなものに聞こえたのだが、今や、人工知能とその関連技術(取り分け、通信技術)、の発展によって、仮想現実(バーチャル・リアリティー)に対する理解は、さほど難しいものではなくなってきている。更に、これら技術に支えられてレベル・アップした天文学や量子力学が示す物質宇宙の実態は、「この世は光速で投影される仮想現実」という前提で捉えた方が説明し易いということも分かってきている。

全ての生命体が有する全ての感覚を利用した仮想現実がこの世である。光速の波を生命体が知覚することで、波動は法則と力を持った粒子として捉えられ、物質世界が出現する。全ての生命の肉体部分も、又、仮想現実の存在である。心(元々はあの世の存在)だけが、この世とあの世を行き来している。心のエネルギー、即ち、非物質的なエネルギーは、生命体の全ての細胞に(脳神経細胞だけでなく)浸透して、次元を超えて、複雑・巧妙に働いている。心を通じたこの世からの刺激によって、個的にも、集団的にも、あの世の原型は変化し、又、あの世の原型の変化はこの世への投影、即ち、仮想現実を変化させる。あの世が元に成って、この世は作られているのだが、この循環的な働きによって、あの世とこの世(両者合わせて、自然宇宙)は、再創造されていく。筆者は、これを、創造循環と呼んでいる。これ以外に、あの世だけで進行する実在変化(これも、自然宇宙の再創造)もあるが、テーマが逸れるので、この点については、此処で、これ以上の言及はしない。

上記は、この世の経験が心を通じてあの世の原型を変化させ、これが投影されて、更に、この世が変化するという意味である。これは、紛れもなく、自然宇宙の再創造の一形態であり、たとえ、この世が仮想現実であったとしても、この点に於いて、その存在意義を有している。理解を進めるために、具体な例を一つ示せば、この世の経験を起点とするあの世の原型変化は、生物の進化や文化・文明の変遷として、この世に投影されている。尚、あの世は、時空間を超越した次元にあり、過去の全ての変遷は、この世では時間の制約によって見ることはできないものの、あの世には実在している。

そもそも、自然宇宙、その再創造とは一体何なのだろうか。人間の能力限界を超えたこの命題に対し、筆者は、次のような前提から論を進めるしかなかった。「永遠(無時間)、且つ、無限空間(無空間)に於いて、あらゆる事象の循環的な起承転結を夢見る生命エネルギーが存在し、それは、此処で言う自然宇宙、そのものでもある」という仮説である。分かり易い表現をすれば、「万能、且つ、永遠の存在、創造主が、あの世とこの世を夢見ており、これら全てが、自然宇宙である」ということだ。自然宇宙は一つの生命存在であり、我々人間もその一部なのである。

創造主、即ち、創造の力を駆使する意志を持った生命エネルギーは、全ての普遍的な力、あらゆる法則・感情・論理・概念・イメージ・記憶などの源である。因果の法則とその力も此処から流れ出ている。この創造主は、自己の生命エネルギーを無数に分散させ、無数の生命を誕生させた。その一つが、あの世を反映するこの世(仮想現実)に、肉体(仮想現実)を持って生きる生命体であり、その実在部分は、あの世にベースがある意志を駆使する生命エネルギー、即ち、心である。これとは別に、あの世には、肉体を持つことなしに、創造主から分け与えられた様々な力を有する生命エネルギーが無数に存在している。

生命存在を定義すれば、次の通りとなる。生命存在とは、創造主から分け与えられた生命エネルギーと自由意志を駆使して、自己、並びに、自己から発生した生命存在、所謂、子孫を繁栄させようとする意欲を持つエネルギー存在である。自由意志を駆使する、この生命存在の活動が、結果として、自然宇宙の再創造に繋がるのだ。レベルの低い生命存在は、自己の繁栄のみを考えて活動する傾向にあり、レベルの高い生命存在は、他の生命存在を含めて、自然宇宙と自己の一体化を実感している。生命存在の進化とは、レベルの低いところから高いところに進むことである。別の視点から描写すれば、創造主と一体化するところまで、この進化は永遠(無時間)に続く。

此処で、自由意志について説明しよう。自由意志とは、因果の結果ではない新しい原因を自分自身で作り出す意志の力である。自由意志は、自然宇宙の因果の流れの中で複雑に連鎖し関連し合って存在する諸要素の下、過去の因果から独立した新しい原因をそこに投下する。そして、それがその時点での無数の周辺要素と絡み合って、大きな因果の流れに合流して行く。例えば、「今、持っている鉛筆を左に倒すか右に倒すか」という意志→決定→行動の実験を思い浮かべてみよう。あなたは自分の意志で自由に、左にも、右にも、鉛筆を倒すことができる。結果として左に倒した時に、「左に倒そうと働いた意志そのものが過去の原因の結果だ」と言う人もいるが、「通常の環境下では、右に倒すこともできた筈」と考える方が妥当である。自分自身の意志が初めての原因となって左に倒したと考えられる。この力が自由意志である。繰り返しになるが、この力は創造主由来のもの、即ち、創造主の分力であり、自然宇宙の再創造の原動力である。公平を期すため、「左に倒しても、右に倒しても、全ては過去の原因の結果だ」とする、所謂、決定論についても言及しておこう。この説によれば、自然宇宙は、原初から存在するもの(言い換えれば、創造主)が原因となって、どこまでも、きっちり決定されたプログラム(自然宇宙の法則と力、これも創造主由来))に沿って変化し、進行することになる。即ち、「自由意志は存在しない、全ては原初から決定されている」ということなのである。

だが、筆者は、自由意志の存在を信じている。なぜなら、そうでないならば、生命に何の存在意義が有るのだろうか。我々がこうして考えていることも、我々が良かれと思って行動していることも、全てがプログラム通りであるならば、これらに何の意味が有るのだろうか。自然宇宙は、進化(再創造)のない、生命のない、永遠(無時間)に固定された循環する起承転結だけに成ってしまうではないか。更には、我々の持つ倫理感情の意味も無くなってしまう。全ては、決まった通りに動くのであれば、それも、創造主の意思ということで、どのような極悪非道も容認されてしまう。

物質宇宙は、仮想現実ではあるが、このように存在し、このような存在意義を有している。
色即是空、空即是色。

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