未完成のナショナリスト

ナショナリズムの最小版は、自己本位主義だ。自己を大切にすることは、基本中の基本であり、大切なことである。だが、自己と他者は、あの世に於いて同じ根から生じていることを理解しないと、自己破滅に陥る。同じことが、家族中心主義や仲間優先主義にも言える。地域優先主義にも国家優先主義にも当てはまる。即ち、ナショナリズムは、他者と同根であることを深く実感することで完成形となるのである。別の言い方をすれば、「未完成のナショナリズムは、自己崩壊に向かう矛盾を内包している」ということになる。今、原野に一本の植物が葉を茂らせ花を咲かす季節を待つ。この花を咲かせようとして、周りの植物を除草剤で全滅させるとする。この植物の周りは、草木一本生えない不毛地帯となる。この植物はどうなるだろうか。

自己本位主義は、皆から嫌われ、社会から高い評価を得ていない。だが、自己を大切にすることは、重要なことで、誰でもそうしている。だから、「他人も、自分と同じように、自分自身を大切にしている」ということを実感できないと嫌われるのだ。この意味をよく理解して欲しい。
家族中心主義はどうだろう。例えば、運動会で他人の迷惑を顧みず、運動場に入って我が子の写真を取りまくる父親は美しいのだろうか。家族を愛するその姿は美しいが、「他人も同じように家族を愛し、子供の運動会を楽しみにしている」ことが見えない、その視野の狭さは、稚拙としか言いようがない。
自国を愛することは美しい。我が郷土を愛し、我が家族を愛することは美しい。だが「他国民も、同じように、自分の国を愛し、自分の郷土を愛し、自分の家族を愛している」ことが実感できなければ、美しくないどころか、危険である。

「世の中に幾億万の母あれど、我が母親に、優れる母なし」という歌がある。これがどう読めるかによって、人間の大きさは変わってくる。そして、その人間が乗り越えなければならない課題も変わってくるのだ。未完成のナショナリストは、自分の母親だけが特別な存在で、自分の母親だけが世界一だと素朴に読む。それは、それで美しい。だが、その背景に、自分は、特別な存在だという稚拙な思い込みがある。
完成したナショナリストは、「この作者は、普遍的な人間性と一体化した自分を実感して、その上で、改めて、自分の母親を至上のものとして詠っている」と読む。普遍的な母親の愛の本質に触れることで、この歌は、逆に、幾億万の人々のエネルギーを持って、心に迫ってくる。幾億万の母親の様々な愛と、その愛それぞれを至上のものと感じる幾億万の人々の姿が、大きなスケールで心に浮き上がってくる。

未完成のナショナリストは、支配層に利用され易い。政治的野心が利用するものの一つとして、「人種・民族・宗教・文化の違い」がある。他国の人々を本当には知らない、その弱点を突かれて、不安、恐怖、憎悪、侮蔑心、敵愾心が煽られる。よく知っていれば涙を流して共感するかもしれない敵国の兵士に、お互い、弾丸を撃ち込む。完成したナショナリストであれば、敵は人間でないことを知っている。人間を破壊しようとする感情が敵であることを知っているのだ。同じ根を持つ仲間を破壊すれば、自分も枯れてしまう。

21世紀初頭の世界的大問題として、移民や難民の受け入れ問題が浮上している。異文化、異なる価値基準を持った人々の受け入れは、様々な社会的摩擦を引き起こす。特に、受け入れ国の下層に位置する人々は、受け入れられた人々との競争により、大きな社会的・経済的打撃を受けるのだ。この事実を軽視してはいけない。しかし、これらをよく見てみると、元々、受け入れ国に存在する社会・経済ルールの歪みがベースになっているものが多いのだ。例えば、元々ある劣悪な住宅事情とその地域格差、元々ある低賃金労働とその労働環境などに起因するものが多い。社会・経済ルールの歪みを是正することは、こうした打撃を和らげる働きにも繋がるのである。
当然のことではあるが、移民や難民の受け入れ負担は、国民、皆が平等に引き受けなければならない。同じ根を持つ人類の兄弟を救うことは、長い目で見れば、必ず自分たちの社会を救うことになるからである。だが、性急・不備な受け入れはいけない。社会的な混乱を引き起こす。受け入れの理念を明示し、その方向に向かって、時間を掛けて、できることから一つずつやっていくしかない。
考えてみれば、現生人類は、その発生以来、移民や難民と同様に流れ流れて、世界中に拡がった。その間、未完成のナショナリスト同士による激しい争いがあったことも事実だ。多くの血が流された。しかし、結果としては、血が混ざり合って今日の繁栄に漕ぎ着けたのである。ちなみに、日本人は、人類学的に見て、この混ざり合いの良い見本である。異なる文化、異なる血を持つ者たちが同化して日本民族を作り上げたのだ。同じ血を引く近親交配だけでは、劣性遺伝が現れて、衰退するばかりだ。文化面でも、同様に、異質性の導入が必要である。
大きな視野に立てば、「仲間を大切にする」ということは、「他者を受け入れる」ということでもある。仲間が大事だからといって、その仲間とばかり付き合っていれば、やがて自滅するからだ。異なる文化を持つ者たちと交わってこそ、世の中は進化して持続的な繁栄が生まれる。人間はそのように出来ている。

未完成のナショナリストとは、自分自身をよく理解できていないナショナリストのことを言う。他の世界を理解することで自分の世界が理解でき、自分の世界を良くすることができるのである。

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