人間と科学

科学は万能ではない。

自然の内で一番大きな概念は宇宙である。天文学と量子物理学、それに科学技術の発達に支えられた種々の計測・計算装置により、我々の宇宙観は徐々に精度を高めつつある。これは、これで素晴らしいことなのだが、その根底にある素朴な疑問、例えば、「時空間は、なぜ存在しているのか」、「物質と物質エネルギーは、どうして生じたのか」、「物理法則とその力は、どこから来たのか」などに、科学は答えることができない。

「無から有が生じる自然宇宙の全てが、やがては、科学的手法により理解され説明される」と考えるなら、それは、「科学が何であるのか」を根本から誤解している。

科学とは、感情や信仰から独立した理性により、或る固定された前提条件の下、同一の原因が同一の結果を生ずることを経験的に実証し、論理的推論と合わせて、これから、体系的法則を導き出すものである。従って、「科学の根本的な前提条件に当たるもの」や「その背後に存在するもの」を、科学の取り扱い対象にすることはできない。

それが科学というものであるのに、欧米流科学万能主義は、「非科学的」などという言葉を使って、「科学が実証できないものは存在しない、または、考える価値がない」などという社会的信仰を生み出している。そして、人間の限界を忘れ、自然と対立し、傲慢且つ強欲な物質文明を築いている。「人間は、そもそも自然の一部であり、その生存可能域が限定されている極めて弱い存在だ」という基本認識に欠けている。

一方、科学はまだ幼児の成長段階にある。謙虚な気持ちで前進すれば、前途洋々たる未来が待ち受けている。人間社会のためになることも明白だ。しかし、人間の感情から独立した理性の世界にある科学は、その利点と共に欠点も併せ持っている。

科学が技術と結ばれ社会活用される段階で、問題発生の恐れがある。科学とは別世界にある倫理感情が、科学者の心の中で科学に優先していなければ、科学技術は、悪魔的な兵器や武器の製造、そして、シェイクスピアの「ベニスの商人」に登場する血も涙もない高利貸し、シャイロック顔負けの冷血で金塗れの社会システム構築に利用される。

「科学には、何ができるのか、何ができないのか」を正確に理解することが、これからの時代には極めて重要になる。科学の限界を認識すると共に、一方で、今後の更なる科学の発展に多くを期待したい。

人間は科学の対象域よりもさらに大きな自然宇宙に存在していること、科学が成立するためには大前提が必要なこと、これらをしっかりと認識した上で、科学をさらに進化させる必要がある。実際、我々の文明にとって、科学とその技術は、重要且つ不可欠な存在である。より広い、より深い、より長い視野で、自然、人間、科学を理解することが、人々が永く幸せに暮らせる社会を築くことに繋がる。

人類絶滅の日は・・・

 物質面だけで生命を捉えた場合、人類絶滅の日は、必ずやって来る。「そんな先のことを心配するな」と言う人が多いかも知れない。しかし、それは意外と近くにまで迫っている。

 太陽系の3番目の惑星、地球、人類をはじめ数多くの生物が棲む天体、年齢は46億歳。表面は窒素と酸素を主成分とする大気に包まれ、水がある。衛星は一つ、月である。現在、72億の人類が生息する。

 この地球に生命が誕生したのは、今から約38億年前、生命は、現在に至るまで、進化と部分絶滅を繰り返している。大量絶滅と言われる出来事は、過去5回あったとされ、有名なものが、約6千6百万年前の恐竜絶滅である。メキシコのユカタン半島付近に落ちた直径10キロ程の小天体が、1億7千万年の長期にわたって地球を支配していた恐竜を絶滅させた。この時、同時に、地球上の約80%の生命が死滅したと推定される。

 恐ろしいのは、これからの話である。専門研究家がコンピュータに大量のデータを投入して、地球上の生物絶滅速度を計算した。その結果、生物絶滅の最速時期は「現代」と算出されたのである。過去5回の大量絶滅を超して。我々の時間感覚では実感できないものの、地球時間で見れば、これまで地球が経験したことのない速さで、現在、地球上の生物が消滅している。

 もう、皆さんもお分かりの通り、これは、人類の仕業である。利便性の高い、物質的な豊かさを享受する現代文明のもう一つの側面は、地球に過大なダメージを与えるものなのだ。多くの生物が消滅してしまった地球上で、人類だけが生き残れる筈はない。人類の叡智が試される時代に入っている。

誘蛾灯

誘蛾灯の青い光に幻惑されて、今夜も、沢山の虫が飛来する。
虫は、この世には決して存在しない青い光で包まれた理想の世界に憧れて飛来するのだ。
この青い光を感覚器官が捉えると、虫は本能的に青い光で包まれた理想の世界からやって来る感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、飛んで来るのだ。

何故、そんなことが分かる?

私は、子供の頃から、お盆の回り灯籠を見て知っている。
回り灯籠の中からやって来る青い透明な光の中に理想の世界を感じるのだ。
青い透明な世界が、清らかに、爽やかに、安らかに、存在している。
不思議な感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、青い光で包まれた理想の世界に飛び込みたくなる。

泣きと笑い

 感情が高まり、緊張やストレスが或る限界に達すると、それを無意識的に、且つ、一気に崩す仕組みが、心と体に連携して作られている。

 喜びと悲しみはコインの表裏である。喜びと悲しみが限界に達すれば、涙が出る。恐怖の場合には、失禁が生じる。ちなみに、オオクワガタの幼虫にも恐怖の感情が湧き上がる。オオクワガタの飼育をした人の多くは気付いているだろうが、菌糸瓶への入れ替え時に、急に箸で摘まんだりすると、恐怖の余り脱糞する。
この種の感情は、本能として、小さな脳の昆虫にも湧き上がるのだ。「感情とは何か、どこに存在するのか」を考える絶好のきっかけとなる。「お前はオオクワガタではないのに、なぜ、その感情が分かるのか」と言う人がいる。その質問に対する答えは、「他人の感情を直感するのと同じだ」と言うしかない。
創造主・自然の力は素晴らしいもので、この脱糞は、敵をびっくりさせる効果もある。また、少しでも体をスリムにして穴に逃げ込み易くする効果もある。オオクワガタに馴染みのない人は、蝉の小便を思い出して欲しい。

 少し、複雑なものが笑いである。基本的には、前述の仕組みと同じだ。緊張の消失に伴う安心感や満足感の中での笑い、緊張を保っていた認識に突然のずれが生じ一気に緊張が解けて安心した時の笑いなどがある。前者は、赤ん坊の笑いやホッとした時に出る柔らかな笑いだ。後者は、ジョーク、ユーモア、ウィットなどで、高度に選別されている。謎掛け遊びの中にも潜んでいる。単なるストレス解消から、人生を楽しくするもの、人付き合いでのトラブルを避けるものまである。文化的にも、社会的にも、とても大切なものだ。
さらに、笑いは複雑である。社会的な意思表示として、意識的に作ることもある。これらには、他の感情も入り混じっている。笑って、逆に、それに相応する心の状態を作るのだ。愛想笑い、作り笑い、ネガティブなものでは、嘲笑などが考えられる。
笑いとは、体の動作と心の状態が繋がって循環運動をしているものだ。どちらが先でも構わない。笑う門には福来たる。心が笑えば、体が健康になる。体が笑えば、ストレスから解放されて、心が健やかになる。

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