人類絶滅の日は・・・

 物質面だけで生命を捉えた場合、人類絶滅の日は、必ずやって来る。「そんな先のことを心配するな」と言う人が多いかも知れない。しかし、それは意外と近くにまで迫っている。

 太陽系の3番目の惑星、地球、人類をはじめ数多くの生物が棲む天体、年齢は46億歳。表面は窒素と酸素を主成分とする大気に包まれ、水がある。衛星は一つ、月である。現在、72億の人類が生息する。

 この地球に生命が誕生したのは、今から約38億年前、生命は、現在に至るまで、進化と部分絶滅を繰り返している。大量絶滅と言われる出来事は、過去5回あったとされ、有名なものが、約6千6百万年前の恐竜絶滅である。メキシコのユカタン半島付近に落ちた直径10キロ程の小天体が、1億7千万年の長期にわたって地球を支配していた恐竜を絶滅させた。この時、同時に、地球上の約80%の生命が死滅したと推定される。

 恐ろしいのは、これからの話である。専門研究家がコンピュータに大量のデータを投入して、地球上の生物絶滅速度を計算した。その結果、生物絶滅の最速時期は「現代」と算出されたのである。過去5回の大量絶滅を超して。我々の時間感覚では実感できないものの、地球時間で見れば、これまで地球が経験したことのない速さで、現在、地球上の生物が消滅している。

 もう、皆さんもお分かりの通り、これは、人類の仕業である。利便性の高い、物質的な豊かさを享受する現代文明のもう一つの側面は、地球に過大なダメージを与えるものなのだ。多くの生物が消滅してしまった地球上で、人類だけが生き残れる筈はない。人類の叡智が試される時代に入っている。

誘蛾灯

誘蛾灯の青い光に幻惑されて、今夜も、沢山の虫が飛来する。
虫は、この世には決して存在しない青い光で包まれた理想の世界に憧れて飛来するのだ。
この青い光を感覚器官が捉えると、虫は本能的に青い光で包まれた理想の世界からやって来る感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、飛んで来るのだ。

何故、そんなことが分かる?

私は、子供の頃から、お盆の回り灯籠を見て知っている。
回り灯籠の中からやって来る青い透明な光の中に理想の世界を感じるのだ。
青い透明な世界が、清らかに、爽やかに、安らかに、存在している。
不思議な感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、青い光で包まれた理想の世界に飛び込みたくなる。

人間と人工知能

 人工知能が人間の精神活動を凌駕する時点というような意味でシンギュラリティーという言葉が独り歩きしている。計算力や記憶力というように限定した意味では、とうの昔に人工知能は人間を越している。これが、その範囲や深さを拡げ、人間による新たなプログラムの追加投入なしに、組み込まれたプログラムが自動的に次々と新しいプログラムを生み出し、データ収集も進み、やがて、こうして累積されたものが人間の全精神活動を網羅し、且つ、凌駕するという意味であろうか。

 これを本気で言っているのであれば、人工知能はどのような仕組みで出来ているのかという原理を理解していないのか、または、人間の心・精神活動とは何かという、大昔から多くの哲学者たちが考えに考え抜いて未だ明確な答えを出すことのできない難問を忘れているからだ。

 人工知能は、全て、人間が投入するプログラム(命令)によって作動する。従って、人工知能が行う意思決定は、このプログラム(命令)に直接的に沿ったものか、これら(複数のプログラムの絡みも含めて)から引き出される論理的帰結に限定される。言い換えれば、「人工知能に自由意志はない」ということが明確に言い得るのだ。

 自由意志とは、因果の結果ではない新しい原因を自分自身で作り出す意志の力である。自由意志は、自然宇宙の因果の流れの中で複雑に連鎖し関連し合って存在する諸要素の下、過去の因果から独立した新しい原因をそこに投下する。そして、それがその時点での無数の周辺要素と絡み合って、大きな因果の流れに合流して行く。例えば、「今、持っている鉛筆を左に倒すか右に倒すか」という意志→決定→行動の実験を思い浮かべてみよう。あなたは自分の意志で自由に、左にも、右にも、鉛筆を倒すことができる。結果として左に倒した時に、「左に倒そうと働いた意志そのものが過去の原因の結果だ」と言う人もいるが、「通常の環境下では、右に倒すこともできた筈」と考える方が妥当である。自分自身の意志が初めての原因となって左に倒したと考えられる。この力が自由意志である。

 公平を期すため、「左に倒しても、右に倒しても、全ては過去の原因の結果だ」とする、いわゆる決定論についても言及しておこう。これによれば、自然宇宙は、創造神、または、偶然によって、原初に生み出されたものが原因となって、どこまでも、きっちり決定されたプログラム(法則とその力)に沿って変化し、進行することになる。即ち、「自由意志は存在しない、全ては原初から決定されている」という説である。この説が正しいとする場合にのみ、人工知能が人間の全精神活動を凌駕することはあり得る。なぜなら、全てきっちりプログラムに従って活動する人間の精神(この場合の人間は、自然のアンドロイド)は、人工知能と本質的に何の違いもないからである。

 一方、人間の精神活動に自由意志が存在するとすれば、人工知能が人間の全精神活動を凌駕することは不可能である。なぜなら、人工知能は、いつでも、人間が投入するプログラム(命令)に沿って働く仕組みであり、これから引き出される論理的帰結を離れて、人工知能が自らの自由意志で新たな意思決定をする力は、前述の通り、存在しない。即ち、人間は自由意志を駆使できるが、人工知能はこれができない。従って、少なくとも、この点においては、人工知能が人間を凌駕することは永遠にあり得ないのである。

 ここで、決定論の問題点を挙げてみよう。この説は大変無責任な状況を生み出すのだ。倫理感情も論理も、全てが人間にとって意味をなくす。全ては決まった通りに変化し、進んでいるだけだから。戦争をするのも、暴虐非道の限りを尽くすのも、初めから決まっているのだから、何をしても人間に責任はなくなる。この説は正誤を問う前に、人間の存在意義を否定するものとなる。

 一方、自由意志の存在を肯定した場合、人間(正確には、自由意志を持つ全てのもの)は、自然宇宙の進化に責任を持つことになる。大部分が既に出来上っているようにも見える自然宇宙の中にあって、それでも、自由意志を駆使して自然宇宙の創造に尽力する存在、それが、人間というものである。ここに、アンドロイドではない人間の真の自由がある。そして、筆者は、自由意志の存在を信じている。ここに、自然宇宙の根源である普遍的な意志性・創造性・生命性が宿っているのだ。

 人工知能脅威論については、別の視点から説明したい。例えば、或る人間が、或る基準をベースにして人間の知能指数を測定するプログラムを人工知能に投入したとしよう。さらに、「知能指数50以下の人間を殺傷せよ」というプログラムも追加する。この場合、その人工知能の手足となるロボットは、自由意志による判断も感情もなく、そのように、人間を殺傷する。

 だが、これは人工知能による脅威ではない。人間の問題である。従って、脅威となるものは、未来社会に於いても、人工知能ではなく、人間の心の中に存在するのである。

 別の言い方をすれば、人工知能は、人間の使い方次第で、良くも働き、悪くも働くものなのだ。限定された分野に於いては、人間の能力を遥かに凌駕する優れものであることは、もう誰にでも分かっている。現時点に於いて、既に、そのように働き、人工知能なしでは切り開くことのできなかった新領域へ人類を導いている。即ち、より良い未来社会形成のために、人工知能の活躍は必要不可欠なのである。だが、繰り返しになるが、これは、人間による意思決定、それを反映したプログラミングがまず初めにあることを理解しなくてはならない。

泣きと笑い

 感情が高まり、緊張やストレスが或る限界に達すると、それを無意識的に、且つ、一気に崩す仕組みが、心と体に連携して作られている。

 喜びと悲しみはコインの表裏である。喜びと悲しみが限界に達すれば、涙が出る。恐怖の場合には、失禁が生じる。ちなみに、オオクワガタの幼虫にも恐怖の感情が湧き上がる。オオクワガタの飼育をした人の多くは気付いているだろうが、菌糸瓶への入れ替え時に、急に箸で摘まんだりすると、恐怖の余り脱糞する。
この種の感情は、本能として、小さな脳の昆虫にも湧き上がるのだ。「感情とは何か、どこに存在するのか」を考える絶好のきっかけとなる。「お前はオオクワガタではないのに、なぜ、その感情が分かるのか」と言う人がいる。その質問に対する答えは、「他人の感情を直感するのと同じだ」と言うしかない。
創造主・自然の力は素晴らしいもので、この脱糞は、敵をびっくりさせる効果もある。また、少しでも体をスリムにして穴に逃げ込み易くする効果もある。オオクワガタに馴染みのない人は、蝉の小便を思い出して欲しい。

 少し、複雑なものが笑いである。基本的には、前述の仕組みと同じだ。緊張の消失に伴う安心感や満足感の中での笑い、緊張を保っていた認識に突然のずれが生じ一気に緊張が解けて安心した時の笑いなどがある。前者は、赤ん坊の笑いやホッとした時に出る柔らかな笑いだ。後者は、ジョーク、ユーモア、ウィットなどで、高度に選別されている。謎掛け遊びの中にも潜んでいる。単なるストレス解消から、人生を楽しくするもの、人付き合いでのトラブルを避けるものまである。文化的にも、社会的にも、とても大切なものだ。
さらに、笑いは複雑である。社会的な意思表示として、意識的に作ることもある。これらには、他の感情も入り混じっている。笑って、逆に、それに相応する心の状態を作るのだ。愛想笑い、作り笑い、ネガティブなものでは、嘲笑などが考えられる。
笑いとは、体の動作と心の状態が繋がって循環運動をしているものだ。どちらが先でも構わない。笑う門には福来たる。心が笑えば、体が健康になる。体が笑えば、ストレスから解放されて、心が健やかになる。

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