唯心論と唯物論

人類は、この先も、進化繁栄を続けることができるのか?
それとも、戦争、環境破壊などによって、近い将来、絶滅してしまうのか?
今、人類は、その岐路に立たされている。

『唯心論と唯物論』

お釈迦様(仏教)、ギリシャのソクラテスやプラトン(イデア論)は、唯心論を説く。
ギリシャのデモクリトスは、原子論(唯物論の元)を説き、
現代に通じる体系的物理学・科学の基礎を確立したアリストテレス(プラトンの弟子)に大きな影響を与えた。
現代(西洋)文明下で教育を受けた大多数の者は、唯物論を建前に生きてはいるものの、心の中では魂の存在を半分程度信じている。
彼らの多くは、唯心論は科学で否定されていると誤解している。

科学とは、この時空間とそこに存在する物質を支配している法則、即ち、物理法則や化学法則などを発見し、それを技術的に応用する学問である。
「同一の環境条件下で、同一の原因を投下し、いつでも同一の結果を生み出す」ことから法則を発見するのである。
従い、なぜ時空間や物質が存在するのか、なぜ法則が存在するのか、これらを支えるエネルギーの力はどこから来るのか、などの疑問を解明することは、初めから、科学の範疇にはない。
科学が進歩すれば、「唯物論が正しくて、唯心論は間違っていると証明可能」と考えている人がいるならば、その人は科学が何たるかを基本から理解できていないのである。

あなたは、どちらに真実があると感じますか?

◆ 自分好みの家をイメージして設計図を作成し、それに従って家を建てた(唯心論的)。
◆ 建物を好き勝手に作ってみたら、規則性が見つかったので、後から設計図らしきものを作ってみた。物と物が絡み合って偶然規則性が生まれただけで、物より先に非物質的な概念や法則など存在するはずがない(唯物論的)。

【堀込清一仮説】

これは、科学で証明できる範囲にはないので、飽くまでも仮説である。
これを真実だと主張すれば、宗教に成ってしまう。歴史を見れば直ぐ分かるが、個々人が自分自身で考え判断することを止めて、教祖の言葉を鵜呑みにすることは非常に危険である。自分自身でよく考え探求して欲しい。

『宇宙生命エネルギー』

宇宙生命エネルギーとは、所謂、創造主のことであり、別の言い方をすれば、生命エネルギーとその創造結果で満ち溢れた宇宙(非物質宇宙と物質宇宙を合わせたもの)そのものでもある。
人型の神様ではなく、時間と空間を超越し、その自由意志で創造し存在する生命エネルギーなのだ。
空間に存在せず、即ち、形体はなく、時間に存在せず、即ち、永遠の存在である。
創造主は、その自由意志とエネルギー(意志・感情・概念・論理・記憶とこれらに付随する非物質エネルギー)によって、自らを、進化・成長・発展させる為の法則、因果律(物質宇宙の基本ルールである物理法則もここから派生)を生み出し、それに従って、宇宙を存在させている。この宇宙生命エネルギーは、自分自身でもある宇宙の全て(存在・現象)を、その究極の細部まで、常時(時間の外で)、意識している。

『非物質宇宙と物質宇宙』

非物質宇宙を「あの世」、物質宇宙を{この世}と呼ぶことにしよう。
この世は、あの世に存在するこの世と関係する領域が、あの世の法則に従い、光で投影されたもので、三次元空間を構成する波動である。
この世は、光速で投影されたものであるから、光より速い速度は存在しない。
しかしながら、ビッグ・バンから始まったこの物質宇宙の膨張速度は、その周辺では光速を超えていることが科学的にも証明されている。これは、この世と高次元接触しているあの世(時空間を超越している)との境界現象だからである。
又、量子力学で言う「量子もつれ」現象も光速を超えている。これは人間の意識・心の中での情報伝達が光速を超えていることを示している。即ち、意識・心は、時空間を超越したあの世に存在しているのである。「量子もつれ」は空想の産物ではなく、科学技術によって量子コンピューターの誕生に繋がっている。
更に、信じがたいことではあるが、心の世界での情報伝達はこの世の未来からこの世の過去にも到達する。卓球の球が強烈に打ち込まれた瞬間を想像してみて欲しい。相手の打球を目で見て脳で把握して心で返球を決定する。そして、脳が神経を通して筋肉に命令して打ち返す。この世での時間経過を考えれば、球が打ち込まれてから返球打点まで飛んで来る時間は、明らかに、返球の為のこのような神経の信号伝達時間よりも短い。にも拘らず、上達者は自分の意志で身体に命令して返球することができる。これは、最近の研究で明らかになったことなのだが、返球の為の筋肉への信号伝達開始は、相手の打ち込み時点より、僅かながら、前(過去)に起こっているのだ。後述の『心の仕組み』で説明する潜在領域が自律的に働いている。即ち、心の顕在領域での返球決定は潜在領域を通じて時間を遡り、何と、この世の過去に影響を与えているのである。

『この世はVR』

上述の通り、この世は、光で投影された波動である。何故、粒化して物質宇宙になるのか。原子も分子も、その元である素粒子が波動であれば、
全て波動ということである。それにも拘らず、「目に見えるものは物質である」とはどうしたものか。ここに科学的なメスを入れたのが、やはり、量子力学である。有名な二重スリット実験は、波動が人間の意識で認識された瞬間に粒化することを証明した。生命体の意識は、その感覚器官を通して(視覚・聴覚だけではない、全ての感覚を通して)、VRを現実と認識していたのだ。正に、般若心経の言う「色即是空、空即是色」であり、プラトンの言う「この世は、イデア界の投影された影」であった。

この世に投影された波動を個々の生命体がその感覚器官を通して物質として意識するのだから、個々の生命体が意識し経験しているこの世は、その感覚器官の観察範囲に限定される(正にVRの仕組みそのもの)。個々の生命体によってその観察領域や範囲は異なるのだから、生命体にとってのこの世は、それぞれ異なっているのだ。又、あの世に存在する意識が、この世の出来事に心の中で結び付ける感情も個々に異なるのだから(本能等による共通感情もあるが)、生命体ごとに、経験するこの世が無数に存在することになる。驚くことに、仏教では、遥か昔に、このことを説いている。

『多世界宇宙・パラレルワールド』

上述の『この世はVR』から、物質宇宙は『多世界宇宙・パラレルワールド』であることが分かる。貴方が、生き・経験してきたこの世は、唯一無二のものではなく、これと並行して、無数の生命体が生き・経験してきた無数の異なるこの世が存在するのだ。
一方、元々は、量子力学の矛盾を突くために提案されたものだったが、現在では、『多世界宇宙・パラレルワールド』探求の入口として研究されている「シュレーディンガーの猫」という有名な話がある。

(ネコと放射性元素のある密閉した鋼鉄の箱の中で、放射性元素の一時間当たりの原子の放射線崩壊率を50%とし、ガイガー計数管が崩壊を検知すると猫が殺される仕組みを作り、一時間後に観察者が蓋を開ける。観察者Aが意識・経験するまで猫の生死は決定していない。)

猫の生死が決定していない状態を量子力学では「重ね合わせ」と呼ぶ。即ち、この世には、異なる(矛盾する)存在・現象の種が重ね合って生じていることを意味している。但し、これは観察者Aにとってのこの世の話である。猫は猫の感覚器官を通してこの世を経験している。猫が経験した世界と観察者Aが経験した世界は猫の生死について異なる場合もあるが、両世界が別世界であれば、矛盾は生じないのだ。猫が生き続ける世界と猫が死んでしまった世界の両者が考えられるが、観察者Aは、蓋を開けて猫が死んだ世界を観察したならば、その世界で猫が生きていることを観察することはない。『多世界宇宙・パラレルワールド』が矛盾無く宇宙を編み上げているのである。
ここで、観察者Aのこの観察を外部から見ていた観察者Bのことも考えてみよう。観察者Bの経験する世界は、猫の経験する世界、観察者Aの経験する世界とは、又、別物である。
因みに、これら、全てを統合して意識・経験しているのが、創造主、即ち、宇宙生命エネルギーである。

『ニュートン力学・相対性理論・量子力学』

ギリシャ時代から続く静止物体に働く力の釣り合いを扱う静止力学に加えて、ニュートンは物体の運動に働く力の法則(慣性、加速、作用反作用、万有引力の法則など)を発見し動力学を確立した。これによって古典物理学は一応の完成を見たのである。これらは、この地球上(絶対時間と絶対空間を前提)に働く力を扱う理論である。

アインシュタインの相対性理論は、光の速度はどの観測場所でも一定不変であることを発見し、空間と時間は相対的に変化するものであることを示した。これは地球を超えた時空間(時間+三次元空間、即ち、物質宇宙)に働く力を扱う理論である。

量子力学は、物質の最小単位である素粒子を扱う学問であるが、この素粒子は同時に波動と粒子の性質を持つことが明らかにされている。粒子だけではないことから、この視点に立てば、量子という呼び名が相応しい。
これは、筆者の仮説であるが、量子力学は、時空間(時間+三次元空間)とあの世(意識・心が存在する高次元領域)との接触面を扱う理論である。

因みに、アインシュタインは、あの世の存在がその接触面で物理学の対象になるなどとは夢にも思わなかったのか、「量子もつれ」や「重ね合わせ」については、何かが狂っているとして、生涯、量子力学を批判していた。
量子論の育ての親、デンマークのニールス・ボーアとの論争は有名であるが、現時点に至っては、アインシュタインの分は悪い。

『我々はテレビのスクリーン画像をどこで見ているのか』

撮影現場にいる人は、その場の波動を感覚器官で粒化・物質化して見ている。テレビで見る人々は、一旦、電波(波動)として送られテレビのスクリーンに反映された波動を、そこから、感覚器官を通して粒化・物質化して見る。科学的に見て、電波の中にもスクリーン上にも物質化された画像はない。

物質化された画像は脳内で見ているのか(唯物論)、それとも、脳に高次元接触する意識(心)で見ているのか(唯心論)。
本仮説に依れば、この世に投影された波動としての脳(脳はあの世への架け橋)ではなく、あの世に存在する心で、見ていることになる。画像を見て或る種の感情が伴えば、顕在的な記憶として残る。無感情の場合、画像は潜在的に心を通り過ぎるだけである。記憶と感情にはこうした心の中での関連作用がある(効率的な学習には、感情を働かせる必要がある。興味の無いものを学習する場合には、感情・感動が乏しく、記憶という点に於いて困難が生じる)。
因みに、脳手術や電極実験などから脳内地図を作成したペンフィールドが、死の直前に、「どう探求しても、心は脳内には存在しない」と語った話は有名である。

『心の仕組み』

心を探求してみると、顕在領域と潜在領域が働いているのに気付く。

顕在領域では、意識する自我があり、因果の流れから独立した自由意志を駆使することができる。意識的な自力により、身体を使って様々な活動ができる。可能性が限定された小さな領域ではあるが、意識的な自己(自我意識は自己が経験してきた感情が絡んだ過去の出来事の順序だった記憶に支えられている)が、この世にその身体がある限り、喜びや苦しみと共に、進化を目指して、日々活動している。この領域は、進化すれば、潜在領域に向かって大きく広がっていくが、この世にある身体によって乗り越えることができない限界線も引かれている。

一方、潜在領域は、最終的には、創造主、即ち、宇宙生命エネルギーに繋がる無限の可能性領域である。創造主から分波された個々の生命エネルギーは、様々な進化状態にあり、それらの生命エネルギーは更に分波して、孫を作り、孫は更に分波して曽孫を作っている。これが繰り返され、宇宙(非物質宇宙と物質宇宙)には様々な生命活動が無限に存在している。因みに、物質宇宙に身体を持たされ、心と身体の循環活動によって心の進化を期待されているのが、我ら、人類である。
潜在領域内部には、その進化や特性に応じて様々な領域がある。これらは、包含されたり、一部重なったり、純粋に個的なものだったりして、無数に存在している。分かり易くする為、例えて言えば、日本人の潜在領域は、地球生命の領域に繋がり、哺乳類の領域、人類の領域に繋がり、現代西洋文化の領域、日本文化の領域、その人固有の領域などに繋がっている(ユングの言う集団無意識の概念に近い)。
潜在領域は、自我意識にとっては無意識的な他力の形で心と身体の活動を支えている。本能に支配された欲望・活動、自律的な心臓の鼓動などが、これに当たる。これらには、自我意識でコントロールできるものとできないものがある。自由意志によって獣の様な欲望を制御すること、意識して呼吸を一時的に止めることなどは、前者に属する。自我意識を進化させることで、潜在領域から来る無意識的な活動の幾つかは、自我意識でコントロールできるようになる。無意識で行っていた悪癖に気付いて矯正する、ヨガの達人は修行で一時的に心臓を止めることができるなどがそれである。

潜在領域を深く理解することで、或る種の悟りを得ることができる。ちっぽけな顕在領域にある自我意識だけが自分であると信じ込んで、他者や自然と対立して悪戦苦闘することから解放されるのである。宇宙も鉱物も植物も動物も他人も、全てが潜在領域で繋がっている大きな自分なのだということが分かってくる。自分の心は永遠の存在であり、創造主の一部なのだ。この状態を感覚的に理解すると、死への恐れも和らぎ、他者の気持ちも自ずと分かってくる。

『ゴリラの本能・チンパンジーの本能』

ゴリラは約1000万年前に人類とチンパンジーの祖先から分岐し、チンパンジーは約700万年前に人類と分岐したと言われている。ゴリラとチンパンジーは近くて人類は進化して別物と考えがちだが、実は、人類とチンパンジーはゴリラよりもずっと近くにあり、遺伝子ゲノムの差異は僅か1.23%である。
人類とチンパンジーは、家族を超えたグループを作って共同生活するのだが、恐怖心が強すぎてグループ防衛だけでは安心できない。近くにいる同種の他グループを侵略殲滅しようとする。又、人類とチンパンジーは共食い動物でもある。チンパンジーは他グループの子供を引き裂いて食べたりするのだ。これが人類の戦争本能に繋がっている。
一方、ゴリラは、強靭な肉体を持ち、家族単位で生活している。ゴリラは、できる限り、同種との争いを避けようとする。防衛に徹し、侵略殲滅はしない。有名なドラミングは、宣戦布告ではなく、防衛のための警告である。

この戦争本能(感情)をコントロールするための自我意識の拡大が、我々、人間、ひとりひとりに課せられている。人類社会は、更に、進化発展できるのか、滅んでしまうのか、核兵器が拡散した今がその分かれ道だ。
そもそも、自己の所属する種を殲滅しようとする動物など他にあるのだろうか。このまま行けば、宇宙の因果律(因果応報)によって絶滅することは明らかである。

『101匹目の猿』

或る島にいた若い猿が芋を海水で洗って食べ始めた。年寄りの猿は嫌な顔をしていたが、仲間の若い猿たちが次々に真似始めた。芋洗いの仲間が100匹に達した時、不思議なことが起こった。この島から遠く離れた別の島の101匹目の猿が、同様の芋洗いを始めたのだ。見て真似られる筈のない遠い島での出来事である。前述で説明した通り、この猿たちに共通の潜在領域に変化が生じたのである。
ダーウィンの延長線上にある現代進化論だけでは、生命体の真の進化の仕組みを説明することはできない。自然淘汰だけでは考えられないレベルにまで、都合良く、その種の望む形態・能力の進化が起こっているからだ。同種の仲間が多数集まって作り上げる強烈な共通感情(本能、行為、形態などに絡む)は、それに関連する潜在領域に変化をもたらすのである。分かり易くする為、敢えて言えば、鳥類は、その祖先が未だ恐竜だった頃、或る仲間たちの多くが空を飛びたいと強烈に思ったことから、翼を持つことになったのである(ダーウィン進化論の言う要素も相俟って働いていたとは思うが、それだけでは説明が付かない事例が多い)。

『価値はどこにあるのか』

今、目の前にダイモンドが輝いている。美しい。価値あるものだと思えて感動する。だが、騙されていたことを知らされる。これはガラスでできたイミテーションであった。その途端に、価値は消滅する。さて、価値はどこにあったのだろうか。物としてのイミテーションにあったのか、それとも、心に湧き上った意味や価値を司る感情(意味価値感情)にあったのか。後者であることは明らかである。
この認識は、物欲をコントロールするのに役立つ。そればかりか、この世の苦しみや悲しみを乗り越える知恵を与えてくれるものだ。喜びや感謝に満ちた人生を送る知恵を与えてくれるものだ。この世の事象は全て流れ去る。それを、苦しむのも、喜ぶのも、永続させるのも、消滅させるのも、すべて、心に湧き上がる意味価値感情である。苦しむのも、喜ぶのも、心の働きであり、この世の事象は間接的にこれに関与しているだけだ。

『善と悪』

宇宙には、陰陽二元法則がある。物質宇宙を考えた場合、真空の揺らぎを刺激すると、無から陰陽等価の素粒子(例えば、プラス電子とマイナス電子)が生まれる。これらを再び合流させれば、無に帰っていく。当然のことながら、物質宇宙の元である非物質宇宙にもこの法則は存在する。ここでは、感情を陰陽二元法則の観点から考えてみよう。
感情には、ポジティブ感情とネガティブ感情がある。前者には、愛情、喜び、楽しみ、安心、感謝、共感などがあり、後者には、憎悪、悲しみ、苦しみ、不安、恨み、孤立感などがある。勿論、これら以外にも無数の感情が存在し、強弱様々、重層的に重なり合っている。前者と後者は陰陽二元法則の下に誕生したものであり、前者が無ければ後者は無く、後者が無ければ前者は無い。それにも拘らず、前者に絡む行為・思考を善と呼び、後者に絡む行為・思考を悪と呼ぶことが多い。それには意味深い理由がある。宇宙の因果律(因果応報)によって、前者が支配的なグループは進化繁栄し、後者が支配的なグループは退化絶滅することになるからだ。神は前者の応援エネルギーであり、悪魔は後者の応援エネルギーだという人もいる。

本質と象徴 Essence and Symbol

この世(物質宇宙)で感覚器官が捉えた刺激は、そのままでは意味を為さない。その刺激は、生命体の物理脳を経由して、心に移る。顕在領域に入った刺激は、心の力によって、瞬時に、時間の無い次元、あの世(非物質宇宙)からダウンロードされる「その刺激に関連する法則、論理、概念、イメージ、記憶、感情など」と出会う。心の中心である自我意識が、それらを絡ませ解釈し、その刺激の意味付けと価値付けを行う。この意味付けと価値付けのベースとなるものは、その時、あの世から心にやって来たものの中の一つ、感情である。この瞬時に行われる一連のプロセスによって、この世での意識的な対応が取られる。
一方、潜在領域に入った刺激は、あの世に存在するその生命体の原型との間に出来上がっている紐付けに従って、反射的に(例えば、本能)、自律的に、この世での反応を引き起こす。

*   ここで述べられていることをよりよく理解するためには、<堀込清一の【宇宙と心】>の<心はどこに存在するのか><この世に一番近いあの世の領域・その1>、<心は鏡>などを参照してください。

ここで注目したいことは、自我意識が経験する意味と価値についてである。<堀込清一の【宇宙と心】>の<価値は何にあるのか>でも説明した通り、自我意識にとっての価値は、あの世からダウンロードされるものの中にある。意味も同じだ。この世に存在するものの中には、決してない。
これが意味することは、「この世に存在するものは、あの世に存在している本質の象徴となっている」ということだ。美術、音楽、文学、デザイン、演劇など、あらゆる芸術に秘められた力は、この世に象徴を創作し、それを見る人の心に「あの世にある、その本質、その意味と価値」を、引き込むことから生じるのである。

面白い話を聞いたことがある。或る達人は、毛筆の文字に現れる或る動きと日本舞踊の或る動作からの流れに、同じものを感じると言う。あの世にある一つの本質が、この世にある二つの別々のものから顔を出している例だ。人の顔付き、動作、姿勢、話し方、話の内容、声の質、等々、これらの中にもあの世にある本質が、無意識的にその姿を現す。

だが、この世にある象徴は、それと直結するあの世の本質との間にずれが生じることも多い。「時間差によるずれ」、「象徴が本質の一部のみを現している場合の全体とのずれ」などが考えられる。例えば、悪女の美顔について考えてみよう。美顔そのものは、間違いなく一つの美の本質の象徴であるが、その顔を持つ悪女の心根までは現していないということだ。一方、無意識的に現れるその場その場の表情や仕草には、心根をその時点で的確に象徴するものが現れている。

因みに、美男美女を追い求めること、それ自体は決して悪いことではないが、それよりも大切なものは心の美しさである。若い頃から、美顔が必ずしも美しい心を象徴しているとは限らないことに気付いていれば、より良い伴侶を得る確率は高まるのである。

あれ?ニャン(何)ダ!

7日ほど前、いとこの家に向かっていた時のことである。
トンネルを抜け急坂を下り交差点に差し掛かった時、前の車が信号で停車、私も減速し、ゆっくりと停車した。
ふと前方に目をやると横断歩道の左側に信号待ちをしていたかのような小さな生き物が目に入った。
しかし、すぐに前車に隠れて見えなくなってしまった。
「あれ?」と思い右に目をやると、アッ!いた。
小さな生き物は思っていた通りネコであった。
驚いたのは、そのネコの足が三本しか見えなかったことである(左側に見えた時少しよろついて見えていた)。
そして、車が停止したのを確かめながら、しっかりと、悠然と、歩いて渡った。
しかも、やはり後ろ足が一本無く、三本足で歩いていた。少しグラつきながらも、しっかりと歩いていた。
野良猫と思えたが、四本足でも生存が大変であろうと考えられる中、「よく生きているなぁ!」と、感心してしまった。

自由・平等・民主主義と真社会性 Freedom,Equality,Democracy and Eusociality

現進化段階の人類にとって、数多くの矛盾を内包するものではあるが、やはり、自由・平等・民主主義は、我々社会が向かうべき基本的な方向性を示していると思う。
だが、この自然宇宙の超知的設計創造者は、社会性を模索する生命種に対し、自由・平等・民主主義とは全く異なる、進化の方向も呈示している。それが、真社会性である。

真社会性とは、アリやハチ等の集団によく見られる社会性を定義する言葉である。社会を維持するための役割分担が、遺伝的固定性を持って、体やその機能の違いにまで及んでいる進化形態である。多くの場合、生殖は少数の女王に任せられ、一般の雌は、女王に比べて体も小さく、不妊であり、仕事や戦いに、その役割を担う。
定義を緩やかに考えた場合、アリやハチばかりでなく、カメムシやアブラムシや甲虫、クモやハダニ等にも、真社会性を呈するものが存在する。或る種のアブラムシでは、天敵を攻撃する役割を与えられた幼虫(前二対の足が発達している)は、二齢になることなく、即ち、成虫になれずに死んでいく運命を持つ。
この他、サンゴ礁に集団で生息する或る種のテッポウエビにも真社会性が認められるし、更には、哺乳類にも、真社会性を持つものが発見されている。ハダカデバネズミ、ダマラランドデバネズミである。ハダカデバネズミは、体長10センチ程度の出っ歯の体毛無しネズミで、エチオピアやケニア等の地中にトンネルを掘って集団で棲んでいる。アリやハチと同様に、女王ネズミと生殖器官が発達しない働きネズミに分化している。
個体が形態・機能的に分化して集合体となる群体にも言及しておこう。植物では、ケイソウ類に、動物では、カイメンやクラゲの仲間等に見られる。これも、真社会性がその方向を極めた一つの結果であると考えられる。

さて、本題に戻ろう。人類も、社会性を持つ種である。今後、社会が効率化して、益々、高度な役割分担が要求されると考えられる。効率化を第一目標にすれば、真社会性が強く求められる。だが、それは、自由・平等・民主主義とは一致しない点も多い。
男性と女性の形態的・機能的分化は既に与えられたのものだが、今後、社会的役割として、どうしていけばよいのだろうか。働き過ぎや過度のスポーツをする女性グループが何世代も続くことで、不妊カーストが発生する恐れはないのだろうか。本能的に与えられている競争と協調の意識矛盾をどうバランスさせればよいのだろうか。人間的・頭脳的・技術的・肉体的に優秀なグループとぼんやり人真似グループの社会的役割と待遇をどう考えたらよいのだろうのか。社会に害悪をもたらそうとする人間や怠け者と手を差し伸べなければいけない社会的弱者をどう切り分けたらよいのだろうか。
又、次の様な視点から、社会を見る必要もある。ハダカデバネズミの場合、働きネズミが、女王ネズミを妬んだり、自分の境遇に対し不満を持つことはない。全て、本能の為すところである。人間の場合、意識が進化している分だけ、妬んだり、不満を持ったりする。実は、自由・平等・民主主義には、共産主義も同様だが、高邁な理念の裏に、このようなネガティブな感情が潜んでいることもあるのだ。幸福とは何かという疑問に答える際に、一つのヒントを与えている。

人類社会の向かうべき方向性を模索する場合、自由・平等・民主主義と真社会性の二つの視点から考えてみるのも面白い。

For humanity at the present evolutionary stage, although it contains many contradictions, I think that freedom, equality, and democracy still show the basic direction that our society should take.
However, the creator of the natural universe’s super-intelligent design also presents a direction of evolution, which is completely different from freedom, equality, and democracy, for the species of life seeking for sociality. That is true sociality(eusociality).

True sociality is a term that defines sociality often seen in groups such as ants and bees. The division of roles for maintaining society reflects an evolutionary form that extends to differences in the body and its functions with genetic fixation. In many cases, reproduction is left to a small number of queens, and the average female is smaller than the queen and is infertile, and plays its role in work and fighting.
If the definition is loosely considered, not only ants and bees, but also stink bugs, aphids, beetles, spiders, spider mites, etc., exhibit true sociality. In some species of aphids, the larvae (developed in the front two pairs of legs) that have been tasked with attacking natural enemies have the fate of dying before they reach the second instar, that is, without becoming adults.
In addition, true sociality is also recognized in some species of Alpheus Brevicristatus that collectively live on coral reefs, and further, mammals are also found to have true sociality. These are the naked mole rat and the damara land mole rat. The naked mole rat is a rodent-free rat with a length of about 10 cm, and lives in a group by digging a tunnel in the ground in Ethiopia and Kenya. Similar to ants and bees, they are differentiated into queen rats and working rats in which the reproductive organs do not develop.
Let us also refer to a colony where individuals are differentiated morphologically and functionally into aggregates. In plants, it is found in diatoms, and in animals, it is found in spiders and jellyfish. This is also considered to be one result of the true social orientation of the direction.

Now, let’s return to the main subject. Humankind is also a species with social characteristics. In the future, it is considered that society will become more efficient and increasingly sophisticated division of roles will be required. If efficiency is the first goal, true sociality is strongly required. However, there are many points that do not correspond to freedom, equality, and democracy.
The morphological and functional differentiation between men and women has already been given, but what should we do in the future as a social role? I wonder if fertility caste can occur due to generations of overworked or oversported women’s groups. How should we balance the inconsistent contradiction of competition and cooperation? What should we think about the social roles and treatment as to groups that are humanely, intelligently, technically, and physically excellent and groups that are vaguely imitating the others without definite thinking ? What should we do to separate socially vulnerable people who have to be saved from ethical viewpoint and lazy people who are bringing harm to society?

It is also necessary to look at society from the following perspectives. In the case of the naked mouse, the working rat does not envy the queen or dissatisfy herself with her circumstances. Everything remains instinctive. In the case of human beings, they are jealous and dissatisfied because their consciousness has evolved. In fact,  such negative emotions are hidden behind noble ideas of freedom,equality and democracy, needless to say communism. It gives one hint in answering the question of what is happiness.

When searching for the direction in which human society should go, it is interesting to think from two perspectives: freedom, equality, democracy and true sociality.

一体感 Sense of Unity

唯物論では、非物質である普遍的な法則・論理・概念・イメージ・記憶・感情など(それらに関連する力も含めて)は、全て物質の絡みから生み出されるものと考えます。これに対し、筆者は、宇宙を二分して、物質宇宙と非物質宇宙とに分け、我々が通常考える宇宙、即ち、物質宇宙は単独で存在しているのではなく、非物質宇宙の高い次元から来る前述の普遍的な法則や力がベースとなって、成り立っていると考えます。現代的な言い方をすれば、物質宇宙は、非物質宇宙の或る領域が光速で物質として投影されたもので(それ故、時間と空間の枠を持つ)、生物の感覚器官や脳(これも投影された物質だが、非物質である心との接点を持つ)を通して現実感が与えられる壮大な仮想現実ということになります。

この説に従えば、心は、投影された肉体を、人が自動車を運転するように、操作しているのです。肉体と自動車との違いは、一体感の違いです。心と自己の肉体との一体感は、出生時から本能によって完全なものに成っています。そして、肉体が滅んだ後には、心は、非物質宇宙に戻り、仮想現実を生きた意識を熟成させ、高次元(時間と空間に制限されない)にある元の意識状態に戻ります。仮想現実に完全な一体感を持って生きている間は、高次元にある意識は認識できません。そして、この様な仕組みによって、心は、何度も、異なる環境で、異なる肉体を生きることができるのです。所謂、輪廻転生です。

心は、物質宇宙からの刺激を受けると、無時間で、非物質宇宙から価値や意味を伴う感情(感覚)を取り込みます。何を取り込むかは、大部分が、本能として、紐付けられていますが、下等生物程、その比率は高くなります。高等生物である人間は、多少なりとも、意識して、この本能の紐付けをコントロールすることができますが、現進化段階では、共食い衝動(例えば、戦争)すら完全には制御できない状況です。勿論、本能の紐付けには、生物にとって、必要不可欠なものもあれば、進化のために更に強化すべきものもあります。

人間にとって、生存本能や生殖本能は、他の生物と同様に、必要不可欠です。この為、この物質宇宙の中で、切磋琢磨して、自己を強化・成長させる必要があります。競争は必要ですし、自衛も必要になります。しかし、無制限に、他者や自然に打ち勝てば良いというものではありません。なぜなら、我々は、人類の一員、全宇宙のパーツだからです。我々は、個的に、より優秀、且つ、より強力にならなければなりませんが、同時に、我々の母体である人類全体、宇宙全体の調和と繁栄も大切にしなければなりません。周辺の草花を枯らした大地で、自分だけの花を咲かすことはできないのです。

ここで、前述の一体感について、もう少し考えてみましょう。一体感は非物質宇宙から取り込む価値や意味を伴う感情(感覚)の一つですが、これには、様々な質と強度があります。人工知能やロボット工学を駆使して作った義手や義足を上手に使えるようになると、脳は、それらに対し、自己の肉体と略同様の反応を示すことが分かってきました。心に一体感が取り込まれていることを示しています。これ程の一体感ではありませんが、スポーツで使う用具なども熟達すると自己の手足の様に感じられることがあります。母親と乳児の一体感もあります。家族との一体感、友人達との一体感、地域住民としての一体感、同国民としての一体感などもあります。それでは、この一体感を、人類としての一体感、地球・宇宙の仲間としての一体感まで、強度を上げて、広げることはできないでしょうか。

自己を大切にしなければ、生きてはいけない。他者を、そして、自然環境を、大切にしなければ、人類は生き延びることができない。このバランス問題の解決策のキーワードは一体感です。一体感は愛の感情とも密接な関係があります。

In materialism, all non-material universal laws, logics, concepts, images, memories, emotions (including the power associated with them) and this kind of forces are all considered to come from the entanglement of materials. On the other hand, I divide the universe into two parts, the material universe and the non-material universe, and the universe that we usually think of, that is, the material universe does not exist alone, but together with the higher dimension of the non-material universe. I think that  the material universe is based on the above-mentioned universal laws and forces that come from the non-material universe. In a modern way, the material universe is a region of the non-material universe projected as matter at the speed of light (hence the frame of time and space), and the sensory organs of the organism and the brain (those are also  projected matter, but they have contact with the mind, which is non-material) give a sense of reality (magnificent virtual reality created through the sensory organs by the above-mentioned universal laws and forces ).

According to this theory, the mind manipulates the projected body as if a person were driving a car. The difference between the body and the car is the difference in unity. The sense of unity between the mind and one’s body is perfected by instinct from birth. Then, after the body is destroyed, the mind returns to its original state of consciousness in a higher dimension (not limited to time and space, the non-material universe) by maturing its virtual reality conciousness. While living in its virtual reality with a complete sense of unity, the consciousness in the higher dimensions cannot be recognized by the mind. And by such a mechanism, the mind can live different bodies repeatedly in different environments. This is the so-called reincarnation.

When the mind receives a stimulus from the material universe, it takes in emotions (senses) of value and meaning from the non-material universe in a timeless manner. Most of what is taken in is linked as an instinct, but its ratio is higher in lower organisms. Human beings, which are higher organisms, are somewhat consciously able to control the binding of this instinct. But, at this stage of evolution, we cannot overcome even the cannibalism (e.g. war). The binding of this instinct is not necessarily bad. On the contrary, there are some instinct bindings that are indispensable to living things, and some of them should be strengthened for further evolution.

For humans, survival instinct and reproductive instinct are as essential as any other organism. For this reason, it is necessary to work hard in this material universe to strengthen and grow ourselves. Competition is required, and self-defense is also required. However, there is limit to what you can do to overcome others and nature. Because we are a member of humankind, parts of the entire universe. We must be personally superior and stronger, but at the same time, we must cherish the harmony and prosperity of our entire body, humanity and the universe as a whole. You cannot bloom your own flower in the earth where the surrounding flowers have withered.

Now, let’s think a little more about the above-mentioned sense of unity. Oneness is one of the emotions (senses) of value and meaning taken from the non-material universe, but it has various qualities and strengths. When it becomes possible to use artificial hands and artificial legs that are made using artificial intelligence and robotics, the brain responds to them in almost the same way as its own body. It shows that a sense of unity is incorporated in the mind. Although it’s not as solid as this, some tools may feel like your limbs when you become proficient in sports equipment. There is also a sense of unity between the mother and the baby. There is also a sense of unity with the family, a sense of unity with friends, a sense of unity as a local resident, and a sense of unity as a national. Then, isn’t it possible to increase and expand this sense of unity to the sense of unity as humankind and the sense of unity as a member of the earth and the universe?

You cannot live unless you value yourself. Human beings cannot survive unless we value others and the natural environment. The key word for the solution to this balance problem is a sense of unity. Oneness is also closely related to the feeling of love.

人を呪わば穴二つ(作用反作用の法則)

人を呪わば穴二つ、「他人を呪い殺そうとすれば、その他人の墓穴に加えて自分の墓穴も用意する必要がある」というこの格言は唯物論に浸りきった大多数の現代人の心には余り響いていないようです。

ここで筆者は自然宇宙という言葉を使いますが、その定義は、物質宇宙と非物質宇宙を包含する全体宇宙を意味します。実は、物質宇宙は単独で存在しているのではなく、非物質宇宙の高い次元から来る力や法則がベースとなって、成り立っているのです。(この考えは、唯物論とは相容れません。唯物論では、これらの力は物質が生み出していると考えています。)筆者の考えに従えば、物理法則や化学法則も自然宇宙を構成する因果の法則の中の物質部分に関わる部分なのです。

我々は、学校で物理の時間に、作用反作用の法則を習いました。ボートに乗って岸壁を押せば、反作用でボートは岸壁から押されて離れます。あれと同じことが、心の世界にも、人間関係にも、存在するのです。従って、他人を非難すれば、回り回って、自分も非難されることになり、他人に悪意を向ければ、回り回って、自分にも、悪意が向けられるのです。

この法則を、頭ではなく、感覚や感情で理解できれば、他人を喜ばせたり、皆と仲良くすることが、自己の限られた視点からの善悪判断より、大切であることが分かるようになります。

筆者は、無宗教ですが、自然宇宙は、人間が想像することさえできない程優れた、超知的設計創造者が作り上げたもの、又は、その様な意志を持った生命エネルギーそのものであると考えています。人類は、人間にとって全体的には理解不可能な因果の循環の一部分だけを物理法則や化学法則として発見し、それを物質文明の構築に利用しているのです。自然宇宙には、科学の対象領域を超えた非物質の次元が存在しています。DNAの見事な配列は、物質が成り行きで偶然作り上げたものではありません。

この様な視点から、現代のメディアとそれに携わる人々、その報道に振り回されて妬み半分の正義心から見知らぬ他人まで非難する人々を見ていると、何か空恐ろしい気がします。

植物にも意志や感情はある

森や林の中を散歩していると色々なことに気付く。昔の人や田舎に住んでいる人なら当たり前のことかも知れないものが、不自然な都会暮らしやステレオ・タイプのマス・メディアにすっかり慣れきってしまった筆者には新鮮に見える。
今年の春・初夏(2018年)は、なぜか、ここ、南房総の植物の生育速度が例年に比べ総じて速い。そして、よく繁茂している。何かの前兆であろうか。
それは、さて置き、こんなことに気付いた。
つる植物があちこちの木に絡み付いている。よく見ると、絡み付いている木から2メートルも3メートルも離れたところから地面を這ってそこにやって来ている。「植物に脳はあったかな、目に相当する感覚器官はどこにあるのだろう」などと唯物論(脳が意志や感情を生み出すと説く)にかなり毒されている筆者の頭は考える。その状況には、明らかに、つる植物の意志を感じさせるものがあるからだ。偶然だけで(風の影響で?)、これだけ多くのつる植物がお目当ての木に辿り着ける筈がない。
動物とはちょっと違った形ではあろうが、「植物にも状況を知覚する力がある、意志や感情もある」と確信したのである。

近くの人々・遠くの人々・地球

世界人口は、現在、70億を突破し、このまま順調に行けば、21世紀末には、100億を超えると予想される。この限られた地球上に、これだけの数の人間が生活するという点でも問題はあるが、ここでは、身の回りに居る近くの人々と直接会うことのない遠い人々に対する優先順位付けを中心に考えてみたい。

近くの人々は、多くても、遠くの人々の0.00001%程度、人によっては、0.000001%程度である。これだけ限られた人々であるから、相争うことは愚の骨頂、大切にしなければならない。遠くの人々よりも優先順位が高いのは、人間として、当然である。近くの人々と仲良く楽しく暮らすことが、何より一番、人生の幸せである。マス・メディアなどを通して出来上がる(一方通行の)近くの人々は、これより、遠い関係にあることを知らなくてはいけない。親・兄弟を低く見て有名人に憧れる若者、育てられた故郷を忘れて都会の人々に憧れる若者は、悪いとは言わないが、余り美しくはない。

だが、ここで、気付かなければならないことがある。思い余って、近くの人々の利益のために遠くの人々を害すれば、廻り回って近くの人々を害することになるということだ。自己の利益のために他者を害すれば、廻り回って自己を害することになるのと同じだ。具体例を一つ挙げれば、どんな状況下であろうとも、戦争は絶対にいけないという話である。自然宇宙を支配する因果の仕組みには、厳然たる作用・反作用の法則が含まれている。

全ては、バランスの問題である。近くの人々を優先しながらも全体の共存共栄を考えなければならない。人類は、一つの集合動物であり、個々の人間はそのパーツなのだ。全体を破壊すれば、そのパーツもやがて破壊される。

考えを更に拡げてみよう。地球は、一つの集合動物であり、個々の人間はそのパーツなのだ。人間の活動は、常に、自然との共生を念頭に置きながら、行われなければならない。お金(経済・産業)のために自然の循環を次々と破壊すれば、そのパーツである人間もやがて破壊される。

恋愛の自由

人間とは、時に天使の心と繋がり、時に動物的本能に衝き動かされる、このような進化の途上にある生き物である。

「多くの哺乳類のオスは、自己の子孫を残すため、交尾対象のメスが子連れの場合、本能的に、まず、その子を殺そうとする」ことが知られている。

人間の場合、「子連れ女性の恋愛の自由を奪おう」などとは言わないが、ここに課題があることも事実である。長い目で人生を見ると、不幸の種がここに存在していることがある。マス・メディアで、事件として、報道されることも多い。

外見だけで判断してはいけない。天使のような男性は、それほど多くはいないのである(天使のような男性と巡り合って、幸せな人生を送る子連れの再婚女性もいるが)。

人類絶滅の日は・・・

 物質面だけで生命を捉えた場合、人類絶滅の日は、必ずやって来る。「そんな先のことを心配するな」と言う人が多いかも知れない。しかし、それは意外と近くにまで迫っている。

 太陽系の3番目の惑星、地球、人類をはじめ数多くの生物が棲む天体、年齢は46億歳。表面は窒素と酸素を主成分とする大気に包まれ、水がある。衛星は一つ、月である。現在、72億の人類が生息する。

 この地球に生命が誕生したのは、今から約38億年前、生命は、現在に至るまで、進化と部分絶滅を繰り返している。大量絶滅と言われる出来事は、過去5回あったとされ、有名なものが、約6千6百万年前の恐竜絶滅である。メキシコのユカタン半島付近に落ちた直径10キロ程の小天体が、1億7千万年の長期にわたって地球を支配していた恐竜を絶滅させた。この時、同時に、地球上の約80%の生命が死滅したと推定される。

 恐ろしいのは、これからの話である。専門研究家がコンピュータに大量のデータを投入して、地球上の生物絶滅速度を計算した。その結果、生物絶滅の最速時期は「現代」と算出されたのである。過去5回の大量絶滅を超して。我々の時間感覚では実感できないものの、地球時間で見れば、これまで地球が経験したことのない速さで、現在、地球上の生物が消滅している。

 もう、皆さんもお分かりの通り、これは、人類の仕業である。利便性の高い、物質的な豊かさを享受する現代文明のもう一つの側面は、地球に過大なダメージを与えるものなのだ。多くの生物が消滅してしまった地球上で、人類だけが生き残れる筈はない。人類の叡智が試される時代に入っている。

誘蛾灯

誘蛾灯の青い光に幻惑されて、今夜も、沢山の虫が飛来する。
虫は、この世には決して存在しない青い光で包まれた理想の世界に憧れて飛来するのだ。
この青い光を感覚器官が捉えると、虫は本能的に青い光で包まれた理想の世界からやって来る感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、飛んで来るのだ。

何故、そんなことが分かる?

私は、子供の頃から、お盆の回り灯籠を見て知っている。
回り灯籠の中からやって来る青い透明な光の中に理想の世界を感じるのだ。
青い透明な世界が、清らかに、爽やかに、安らかに、存在している。
不思議な感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、青い光で包まれた理想の世界に飛び込みたくなる。

泣きと笑い

 感情が高まり、緊張やストレスが或る限界に達すると、それを無意識的に、且つ、一気に崩す仕組みが、心と体に連携して作られている。

 喜びと悲しみはコインの表裏である。喜びと悲しみが限界に達すれば、涙が出る。恐怖の場合には、失禁が生じる。ちなみに、オオクワガタの幼虫にも恐怖の感情が湧き上がる。オオクワガタの飼育をした人の多くは気付いているだろうが、菌糸瓶への入れ替え時に、急に箸で摘まんだりすると、恐怖の余り脱糞する。
この種の感情は、本能として、小さな脳の昆虫にも湧き上がるのだ。「感情とは何か、どこに存在するのか」を考える絶好のきっかけとなる。「お前はオオクワガタではないのに、なぜ、その感情が分かるのか」と言う人がいる。その質問に対する答えは、「他人の感情を直感するのと同じだ」と言うしかない。
創造主・自然の力は素晴らしいもので、この脱糞は、敵をびっくりさせる効果もある。また、少しでも体をスリムにして穴に逃げ込み易くする効果もある。オオクワガタに馴染みのない人は、蝉の小便を思い出して欲しい。

 少し、複雑なものが笑いである。基本的には、前述の仕組みと同じだ。緊張の消失に伴う安心感や満足感の中での笑い、緊張を保っていた認識に突然のずれが生じ一気に緊張が解けて安心した時の笑いなどがある。前者は、赤ん坊の笑いやホッとした時に出る柔らかな笑いだ。後者は、ジョーク、ユーモア、ウィットなどで、高度に選別されている。謎掛け遊びの中にも潜んでいる。単なるストレス解消から、人生を楽しくするもの、人付き合いでのトラブルを避けるものまである。文化的にも、社会的にも、とても大切なものだ。
さらに、笑いは複雑である。社会的な意思表示として、意識的に作ることもある。これらには、他の感情も入り混じっている。笑って、逆に、それに相応する心の状態を作るのだ。愛想笑い、作り笑い、ネガティブなものでは、嘲笑などが考えられる。
笑いとは、体の動作と心の状態が繋がって循環運動をしているものだ。どちらが先でも構わない。笑う門には福来たる。心が笑えば、体が健康になる。体が笑えば、ストレスから解放されて、心が健やかになる。

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