本質と象徴 Essence and Symbol

この世(物質宇宙)で感覚器官が捉えた刺激は、そのままでは意味を為さない。その刺激は、生命体の物理脳を経由して、心に移る。顕在領域に入った刺激は、心の力によって、瞬時に、時間の無い次元、あの世(非物質宇宙)からダウンロードされる「その刺激に関連する法則、論理、概念、イメージ、記憶、感情など」と出会う。心の中心である自我意識が、それらを絡ませ解釈し、その刺激の意味付けと価値付けを行う。この意味付けと価値付けのベースとなるものは、その時、あの世から心にやって来たものの中の一つ、感情である。この瞬時に行われる一連のプロセスによって、この世での意識的な対応が取られる。
一方、潜在領域に入った刺激は、あの世に存在するその生命体の原型との間に出来上がっている紐付けに従って、反射的に(例えば、本能)、自律的に、この世での反応を引き起こす。

*   ここで述べられていることをよりよく理解するためには、<堀込清一の【宇宙と心】>の<心はどこに存在するのか><この世に一番近いあの世の領域・その1>、<心は鏡>などを参照してください。

ここで注目したいことは、自我意識が経験する意味と価値についてである。<堀込清一の【宇宙と心】>の<価値は何にあるのか>でも説明した通り、自我意識にとっての価値は、あの世からダウンロードされるものの中にある。意味も同じだ。この世に存在するものの中には、決してない。
これが意味することは、「この世に存在するものは、あの世に存在している本質の象徴となっている」ということだ。美術、音楽、文学、デザイン、演劇など、あらゆる芸術に秘められた力は、この世に象徴を創作し、それを見る人の心に「あの世にある、その本質、その意味と価値」を、引き込むことから生じるのである。

面白い話を聞いたことがある。或る達人は、毛筆の文字に現れる或る動きと日本舞踊の或る動作からの流れに、同じものを感じると言う。あの世にある一つの本質が、この世にある二つの別々のものから顔を出している例だ。人の顔付き、動作、姿勢、話し方、話の内容、声の質、等々、これらの中にもあの世にある本質が、無意識的にその姿を現す。

だが、この世にある象徴は、それと直結するあの世の本質との間にずれが生じることも多い。「時間差によるずれ」、「象徴が本質の一部のみを現している場合の全体とのずれ」などが考えられる。例えば、悪女の美顔について考えてみよう。美顔そのものは、間違いなく一つの美の本質の象徴であるが、その顔を持つ悪女の心根までは現していないということだ。一方、無意識的に現れるその場その場の表情や仕草には、心根をその時点で的確に象徴するものが現れている。

因みに、美男美女を追い求めること、それ自体は決して悪いことではないが、それよりも大切なものは心の美しさである。若い頃から、美顔が必ずしも美しい心を象徴しているとは限らないことに気付いていれば、より良い伴侶を得る確率は高まるのである。

あれ?ニャン(何)ダ!

7日ほど前、いとこの家に向かっていた時のことである。
トンネルを抜け急坂を下り交差点に差し掛かった時、前の車が信号で停車、私も減速し、ゆっくりと停車した。
ふと前方に目をやると横断歩道の左側に信号待ちをしていたかのような小さな生き物が目に入った。
しかし、すぐに前車に隠れて見えなくなってしまった。
「あれ?」と思い右に目をやると、アッ!いた。
小さな生き物は思っていた通りネコであった。
驚いたのは、そのネコの足が三本しか見えなかったことである(左側に見えた時少しよろついて見えていた)。
そして、車が停止したのを確かめながら、しっかりと、悠然と、歩いて渡った。
しかも、やはり後ろ足が一本無く、三本足で歩いていた。少しグラつきながらも、しっかりと歩いていた。
野良猫と思えたが、四本足でも生存が大変であろうと考えられる中、「よく生きているなぁ!」と、感心してしまった。

自由・平等・民主主義と真社会性 Freedom,Equality,Democracy and Eusociality

現進化段階の人類にとって、数多くの矛盾を内包するものではあるが、やはり、自由・平等・民主主義は、我々社会が向かうべき基本的な方向性を示していると思う。
だが、この自然宇宙の超知的設計創造者は、社会性を模索する生命種に対し、自由・平等・民主主義とは全く異なる、進化の方向も呈示している。それが、真社会性である。

真社会性とは、アリやハチ等の集団によく見られる社会性を定義する言葉である。社会を維持するための役割分担が、遺伝的固定性を持って、体やその機能の違いにまで及んでいる進化形態である。多くの場合、生殖は少数の女王に任せられ、一般の雌は、女王に比べて体も小さく、不妊であり、仕事や戦いに、その役割を担う。
定義を緩やかに考えた場合、アリやハチばかりでなく、カメムシやアブラムシや甲虫、クモやハダニ等にも、真社会性を呈するものが存在する。或る種のアブラムシでは、天敵を攻撃する役割を与えられた幼虫(前二対の足が発達している)は、二齢になることなく、即ち、成虫になれずに死んでいく運命を持つ。
この他、サンゴ礁に集団で生息する或る種のテッポウエビにも真社会性が認められるし、更には、哺乳類にも、真社会性を持つものが発見されている。ハダカデバネズミ、ダマラランドデバネズミである。ハダカデバネズミは、体長10センチ程度の出っ歯の体毛無しネズミで、エチオピアやケニア等の地中にトンネルを掘って集団で棲んでいる。アリやハチと同様に、女王ネズミと生殖器官が発達しない働きネズミに分化している。
個体が形態・機能的に分化して集合体となる群体にも言及しておこう。植物では、ケイソウ類に、動物では、カイメンやクラゲの仲間等に見られる。これも、真社会性がその方向を極めた一つの結果であると考えられる。

さて、本題に戻ろう。人類も、社会性を持つ種である。今後、社会が効率化して、益々、高度な役割分担が要求されると考えられる。効率化を第一目標にすれば、真社会性が強く求められる。だが、それは、自由・平等・民主主義とは一致しない点も多い。
男性と女性の形態的・機能的分化は既に与えられたのものだが、今後、社会的役割として、どうしていけばよいのだろうか。働き過ぎや過度のスポーツをする女性グループが何世代も続くことで、不妊カーストが発生する恐れはないのだろうか。本能的に与えられている競争と協調の意識矛盾をどうバランスさせればよいのだろうか。人間的・頭脳的・技術的・肉体的に優秀なグループとぼんやり人真似グループの社会的役割と待遇をどう考えたらよいのだろうのか。社会に害悪をもたらそうとする人間や怠け者と手を差し伸べなければいけない社会的弱者をどう切り分けたらよいのだろうか。
又、次の様な視点から、社会を見る必要もある。ハダカデバネズミの場合、働きネズミが、女王ネズミを妬んだり、自分の境遇に対し不満を持つことはない。全て、本能の為すところである。人間の場合、意識が進化している分だけ、妬んだり、不満を持ったりする。実は、自由・平等・民主主義には、共産主義も同様だが、高邁な理念の裏に、このようなネガティブな感情が潜んでいることもあるのだ。幸福とは何かという疑問に答える際に、一つのヒントを与えている。

人類社会の向かうべき方向性を模索する場合、自由・平等・民主主義と真社会性の二つの視点から考えてみるのも面白い。

For humanity at the present evolutionary stage, although it contains many contradictions, I think that freedom, equality, and democracy still show the basic direction that our society should take.
However, the creator of the natural universe’s super-intelligent design also presents a direction of evolution, which is completely different from freedom, equality, and democracy, for the species of life seeking for sociality. That is true sociality(eusociality).

True sociality is a term that defines sociality often seen in groups such as ants and bees. The division of roles for maintaining society reflects an evolutionary form that extends to differences in the body and its functions with genetic fixation. In many cases, reproduction is left to a small number of queens, and the average female is smaller than the queen and is infertile, and plays its role in work and fighting.
If the definition is loosely considered, not only ants and bees, but also stink bugs, aphids, beetles, spiders, spider mites, etc., exhibit true sociality. In some species of aphids, the larvae (developed in the front two pairs of legs) that have been tasked with attacking natural enemies have the fate of dying before they reach the second instar, that is, without becoming adults.
In addition, true sociality is also recognized in some species of Alpheus Brevicristatus that collectively live on coral reefs, and further, mammals are also found to have true sociality. These are the naked mole rat and the damara land mole rat. The naked mole rat is a rodent-free rat with a length of about 10 cm, and lives in a group by digging a tunnel in the ground in Ethiopia and Kenya. Similar to ants and bees, they are differentiated into queen rats and working rats in which the reproductive organs do not develop.
Let us also refer to a colony where individuals are differentiated morphologically and functionally into aggregates. In plants, it is found in diatoms, and in animals, it is found in spiders and jellyfish. This is also considered to be one result of the true social orientation of the direction.

Now, let’s return to the main subject. Humankind is also a species with social characteristics. In the future, it is considered that society will become more efficient and increasingly sophisticated division of roles will be required. If efficiency is the first goal, true sociality is strongly required. However, there are many points that do not correspond to freedom, equality, and democracy.
The morphological and functional differentiation between men and women has already been given, but what should we do in the future as a social role? I wonder if fertility caste can occur due to generations of overworked or oversported women’s groups. How should we balance the inconsistent contradiction of competition and cooperation? What should we think about the social roles and treatment as to groups that are humanely, intelligently, technically, and physically excellent and groups that are vaguely imitating the others without definite thinking ? What should we do to separate socially vulnerable people who have to be saved from ethical viewpoint and lazy people who are bringing harm to society?

It is also necessary to look at society from the following perspectives. In the case of the naked mouse, the working rat does not envy the queen or dissatisfy herself with her circumstances. Everything remains instinctive. In the case of human beings, they are jealous and dissatisfied because their consciousness has evolved. In fact,  such negative emotions are hidden behind noble ideas of freedom,equality and democracy, needless to say communism. It gives one hint in answering the question of what is happiness.

When searching for the direction in which human society should go, it is interesting to think from two perspectives: freedom, equality, democracy and true sociality.

一体感 Sense of Unity

唯物論では、非物質である普遍的な法則・論理・概念・イメージ・記憶・感情など(それらに関連する力も含めて)は、全て物質の絡みから生み出されるものと考えます。これに対し、筆者は、宇宙を二分して、物質宇宙と非物質宇宙とに分け、我々が通常考える宇宙、即ち、物質宇宙は単独で存在しているのではなく、非物質宇宙の高い次元から来る前述の普遍的な法則や力がベースとなって、成り立っていると考えます。現代的な言い方をすれば、物質宇宙は、非物質宇宙の或る領域が光速で物質として投影されたもので(それ故、時間と空間の枠を持つ)、生物の感覚器官や脳(これも投影された物質だが、非物質である心との接点を持つ)を通して現実感が与えられる壮大な仮想現実ということになります。

この説に従えば、心は、投影された肉体を、人が自動車を運転するように、操作しているのです。肉体と自動車との違いは、一体感の違いです。心と自己の肉体との一体感は、出生時から本能によって完全なものに成っています。そして、肉体が滅んだ後には、心は、非物質宇宙に戻り、仮想現実を生きた意識を熟成させ、高次元(時間と空間に制限されない)にある元の意識状態に戻ります。仮想現実に完全な一体感を持って生きている間は、高次元にある意識は認識できません。そして、この様な仕組みによって、心は、何度も、異なる環境で、異なる肉体を生きることができるのです。所謂、輪廻転生です。

心は、物質宇宙からの刺激を受けると、無時間で、非物質宇宙から価値や意味を伴う感情(感覚)を取り込みます。何を取り込むかは、大部分が、本能として、紐付けられていますが、下等生物程、その比率は高くなります。高等生物である人間は、多少なりとも、意識して、この本能の紐付けをコントロールすることができますが、現進化段階では、共食い衝動(例えば、戦争)すら完全には制御できない状況です。勿論、本能の紐付けには、生物にとって、必要不可欠なものもあれば、進化のために更に強化すべきものもあります。

人間にとって、生存本能や生殖本能は、他の生物と同様に、必要不可欠です。この為、この物質宇宙の中で、切磋琢磨して、自己を強化・成長させる必要があります。競争は必要ですし、自衛も必要になります。しかし、無制限に、他者や自然に打ち勝てば良いというものではありません。なぜなら、我々は、人類の一員、全宇宙のパーツだからです。我々は、個的に、より優秀、且つ、より強力にならなければなりませんが、同時に、我々の母体である人類全体、宇宙全体の調和と繁栄も大切にしなければなりません。周辺の草花を枯らした大地で、自分だけの花を咲かすことはできないのです。

ここで、前述の一体感について、もう少し考えてみましょう。一体感は非物質宇宙から取り込む価値や意味を伴う感情(感覚)の一つですが、これには、様々な質と強度があります。人工知能やロボット工学を駆使して作った義手や義足を上手に使えるようになると、脳は、それらに対し、自己の肉体と略同様の反応を示すことが分かってきました。心に一体感が取り込まれていることを示しています。これ程の一体感ではありませんが、スポーツで使う用具なども熟達すると自己の手足の様に感じられることがあります。母親と乳児の一体感もあります。家族との一体感、友人達との一体感、地域住民としての一体感、同国民としての一体感などもあります。それでは、この一体感を、人類としての一体感、地球・宇宙の仲間としての一体感まで、強度を上げて、広げることはできないでしょうか。

自己を大切にしなければ、生きてはいけない。他者を、そして、自然環境を、大切にしなければ、人類は生き延びることができない。このバランス問題の解決策のキーワードは一体感です。一体感は愛の感情とも密接な関係があります。

In materialism, all non-material universal laws, logics, concepts, images, memories, emotions (including the power associated with them) and this kind of forces are all considered to come from the entanglement of materials. On the other hand, I divide the universe into two parts, the material universe and the non-material universe, and the universe that we usually think of, that is, the material universe does not exist alone, but together with the higher dimension of the non-material universe. I think that  the material universe is based on the above-mentioned universal laws and forces that come from the non-material universe. In a modern way, the material universe is a region of the non-material universe projected as matter at the speed of light (hence the frame of time and space), and the sensory organs of the organism and the brain (those are also  projected matter, but they have contact with the mind, which is non-material) give a sense of reality (magnificent virtual reality created through the sensory organs by the above-mentioned universal laws and forces ).

According to this theory, the mind manipulates the projected body as if a person were driving a car. The difference between the body and the car is the difference in unity. The sense of unity between the mind and one’s body is perfected by instinct from birth. Then, after the body is destroyed, the mind returns to its original state of consciousness in a higher dimension (not limited to time and space, the non-material universe) by maturing its virtual reality conciousness. While living in its virtual reality with a complete sense of unity, the consciousness in the higher dimensions cannot be recognized by the mind. And by such a mechanism, the mind can live different bodies repeatedly in different environments. This is the so-called reincarnation.

When the mind receives a stimulus from the material universe, it takes in emotions (senses) of value and meaning from the non-material universe in a timeless manner. Most of what is taken in is linked as an instinct, but its ratio is higher in lower organisms. Human beings, which are higher organisms, are somewhat consciously able to control the binding of this instinct. But, at this stage of evolution, we cannot overcome even the cannibalism (e.g. war). The binding of this instinct is not necessarily bad. On the contrary, there are some instinct bindings that are indispensable to living things, and some of them should be strengthened for further evolution.

For humans, survival instinct and reproductive instinct are as essential as any other organism. For this reason, it is necessary to work hard in this material universe to strengthen and grow ourselves. Competition is required, and self-defense is also required. However, there is limit to what you can do to overcome others and nature. Because we are a member of humankind, parts of the entire universe. We must be personally superior and stronger, but at the same time, we must cherish the harmony and prosperity of our entire body, humanity and the universe as a whole. You cannot bloom your own flower in the earth where the surrounding flowers have withered.

Now, let’s think a little more about the above-mentioned sense of unity. Oneness is one of the emotions (senses) of value and meaning taken from the non-material universe, but it has various qualities and strengths. When it becomes possible to use artificial hands and artificial legs that are made using artificial intelligence and robotics, the brain responds to them in almost the same way as its own body. It shows that a sense of unity is incorporated in the mind. Although it’s not as solid as this, some tools may feel like your limbs when you become proficient in sports equipment. There is also a sense of unity between the mother and the baby. There is also a sense of unity with the family, a sense of unity with friends, a sense of unity as a local resident, and a sense of unity as a national. Then, isn’t it possible to increase and expand this sense of unity to the sense of unity as humankind and the sense of unity as a member of the earth and the universe?

You cannot live unless you value yourself. Human beings cannot survive unless we value others and the natural environment. The key word for the solution to this balance problem is a sense of unity. Oneness is also closely related to the feeling of love.

人を呪わば穴二つ(作用反作用の法則)

人を呪わば穴二つ、「他人を呪い殺そうとすれば、その他人の墓穴に加えて自分の墓穴も用意する必要がある」というこの格言は唯物論に浸りきった大多数の現代人の心には余り響いていないようです。

ここで筆者は自然宇宙という言葉を使いますが、その定義は、物質宇宙と非物質宇宙を包含する全体宇宙を意味します。実は、物質宇宙は単独で存在しているのではなく、非物質宇宙の高い次元から来る力や法則がベースとなって、成り立っているのです。(この考えは、唯物論とは相容れません。唯物論では、これらの力は物質が生み出していると考えています。)筆者の考えに従えば、物理法則や化学法則も自然宇宙を構成する因果の法則の中の物質部分に関わる部分なのです。

我々は、学校で物理の時間に、作用反作用の法則を習いました。ボートに乗って岸壁を押せば、反作用でボートは岸壁から押されて離れます。あれと同じことが、心の世界にも、人間関係にも、存在するのです。従って、他人を非難すれば、回り回って、自分も非難されることになり、他人に悪意を向ければ、回り回って、自分にも、悪意が向けられるのです。

この法則を、頭ではなく、感覚や感情で理解できれば、他人を喜ばせたり、皆と仲良くすることが、自己の限られた視点からの善悪判断より、大切であることが分かるようになります。

筆者は、無宗教ですが、自然宇宙は、人間が想像することさえできない程優れた、超知的設計創造者が作り上げたもの、又は、その様な意志を持った生命エネルギーそのものであると考えています。人類は、人間にとって全体的には理解不可能な因果の循環の一部分だけを物理法則や化学法則として発見し、それを物質文明の構築に利用しているのです。自然宇宙には、科学の対象領域を超えた非物質の次元が存在しています。DNAの見事な配列は、物質が成り行きで偶然作り上げたものではありません。

この様な視点から、現代のメディアとそれに携わる人々、その報道に振り回されて妬み半分の正義心から見知らぬ他人まで非難する人々を見ていると、何か空恐ろしい気がします。

植物にも意志や感情はある

森や林の中を散歩していると色々なことに気付く。昔の人や田舎に住んでいる人なら当たり前のことかも知れないものが、不自然な都会暮らしやステレオ・タイプのマス・メディアにすっかり慣れきってしまった筆者には新鮮に見える。
今年の春・初夏(2018年)は、なぜか、ここ、南房総の植物の生育速度が例年に比べ総じて速い。そして、よく繁茂している。何かの前兆であろうか。
それは、さて置き、こんなことに気付いた。
つる植物があちこちの木に絡み付いている。よく見ると、絡み付いている木から2メートルも3メートルも離れたところから地面を這ってそこにやって来ている。「植物に脳はあったかな、目に相当する感覚器官はどこにあるのだろう」などと唯物論(脳が意志や感情を生み出すと説く)にかなり毒されている筆者の頭は考える。その状況には、明らかに、つる植物の意志を感じさせるものがあるからだ。偶然だけで(風の影響で?)、これだけ多くのつる植物がお目当ての木に辿り着ける筈がない。
動物とはちょっと違った形ではあろうが、「植物にも状況を知覚する力がある、意志や感情もある」と確信したのである。

近くの人々・遠くの人々・地球

世界人口は、現在、70億を突破し、このまま順調に行けば、21世紀末には、100億を超えると予想される。この限られた地球上に、これだけの数の人間が生活するという点でも問題はあるが、ここでは、身の回りに居る近くの人々と直接会うことのない遠い人々に対する優先順位付けを中心に考えてみたい。

近くの人々は、多くても、遠くの人々の0.00001%程度、人によっては、0.000001%程度である。これだけ限られた人々であるから、相争うことは愚の骨頂、大切にしなければならない。遠くの人々よりも優先順位が高いのは、人間として、当然である。近くの人々と仲良く楽しく暮らすことが、何より一番、人生の幸せである。マス・メディアなどを通して出来上がる(一方通行の)近くの人々は、これより、遠い関係にあることを知らなくてはいけない。親・兄弟を低く見て有名人に憧れる若者、育てられた故郷を忘れて都会の人々に憧れる若者は、悪いとは言わないが、余り美しくはない。

だが、ここで、気付かなければならないことがある。思い余って、近くの人々の利益のために遠くの人々を害すれば、廻り回って近くの人々を害することになるということだ。自己の利益のために他者を害すれば、廻り回って自己を害することになるのと同じだ。具体例を一つ挙げれば、どんな状況下であろうとも、戦争は絶対にいけないという話である。自然宇宙を支配する因果の仕組みには、厳然たる作用・反作用の法則が含まれている。

全ては、バランスの問題である。近くの人々を優先しながらも全体の共存共栄を考えなければならない。人類は、一つの集合動物であり、個々の人間はそのパーツなのだ。全体を破壊すれば、そのパーツもやがて破壊される。

考えを更に拡げてみよう。地球は、一つの集合動物であり、個々の人間はそのパーツなのだ。人間の活動は、常に、自然との共生を念頭に置きながら、行われなければならない。お金(経済・産業)のために自然の循環を次々と破壊すれば、そのパーツである人間もやがて破壊される。

恋愛の自由

人間とは、時に天使の心と繋がり、時に動物的本能に衝き動かされる、このような進化の途上にある生き物である。

「多くの哺乳類のオスは、自己の子孫を残すため、交尾対象のメスが子連れの場合、本能的に、まず、その子を殺そうとする」ことが知られている。

人間の場合、「子連れ女性の恋愛の自由を奪おう」などとは言わないが、ここに課題があることも事実である。長い目で人生を見ると、不幸の種がここに存在していることがある。マス・メディアで、事件として、報道されることも多い。

外見だけで判断してはいけない。天使のような男性は、それほど多くはいないのである(天使のような男性と巡り合って、幸せな人生を送る子連れの再婚女性もいるが)。

人類絶滅の日は・・・

 物質面だけで生命を捉えた場合、人類絶滅の日は、必ずやって来る。「そんな先のことを心配するな」と言う人が多いかも知れない。しかし、それは意外と近くにまで迫っている。

 太陽系の3番目の惑星、地球、人類をはじめ数多くの生物が棲む天体、年齢は46億歳。表面は窒素と酸素を主成分とする大気に包まれ、水がある。衛星は一つ、月である。現在、72億の人類が生息する。

 この地球に生命が誕生したのは、今から約38億年前、生命は、現在に至るまで、進化と部分絶滅を繰り返している。大量絶滅と言われる出来事は、過去5回あったとされ、有名なものが、約6千6百万年前の恐竜絶滅である。メキシコのユカタン半島付近に落ちた直径10キロ程の小天体が、1億7千万年の長期にわたって地球を支配していた恐竜を絶滅させた。この時、同時に、地球上の約80%の生命が死滅したと推定される。

 恐ろしいのは、これからの話である。専門研究家がコンピュータに大量のデータを投入して、地球上の生物絶滅速度を計算した。その結果、生物絶滅の最速時期は「現代」と算出されたのである。過去5回の大量絶滅を超して。我々の時間感覚では実感できないものの、地球時間で見れば、これまで地球が経験したことのない速さで、現在、地球上の生物が消滅している。

 もう、皆さんもお分かりの通り、これは、人類の仕業である。利便性の高い、物質的な豊かさを享受する現代文明のもう一つの側面は、地球に過大なダメージを与えるものなのだ。多くの生物が消滅してしまった地球上で、人類だけが生き残れる筈はない。人類の叡智が試される時代に入っている。

誘蛾灯

誘蛾灯の青い光に幻惑されて、今夜も、沢山の虫が飛来する。
虫は、この世には決して存在しない青い光で包まれた理想の世界に憧れて飛来するのだ。
この青い光を感覚器官が捉えると、虫は本能的に青い光で包まれた理想の世界からやって来る感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、飛んで来るのだ。

何故、そんなことが分かる?

私は、子供の頃から、お盆の回り灯籠を見て知っている。
回り灯籠の中からやって来る青い透明な光の中に理想の世界を感じるのだ。
青い透明な世界が、清らかに、爽やかに、安らかに、存在している。
不思議な感覚に満たされる。
憧れの感情に乗って、溶け込んで一つになるために、青い光で包まれた理想の世界に飛び込みたくなる。

泣きと笑い

 感情が高まり、緊張やストレスが或る限界に達すると、それを無意識的に、且つ、一気に崩す仕組みが、心と体に連携して作られている。

 喜びと悲しみはコインの表裏である。喜びと悲しみが限界に達すれば、涙が出る。恐怖の場合には、失禁が生じる。ちなみに、オオクワガタの幼虫にも恐怖の感情が湧き上がる。オオクワガタの飼育をした人の多くは気付いているだろうが、菌糸瓶への入れ替え時に、急に箸で摘まんだりすると、恐怖の余り脱糞する。
この種の感情は、本能として、小さな脳の昆虫にも湧き上がるのだ。「感情とは何か、どこに存在するのか」を考える絶好のきっかけとなる。「お前はオオクワガタではないのに、なぜ、その感情が分かるのか」と言う人がいる。その質問に対する答えは、「他人の感情を直感するのと同じだ」と言うしかない。
創造主・自然の力は素晴らしいもので、この脱糞は、敵をびっくりさせる効果もある。また、少しでも体をスリムにして穴に逃げ込み易くする効果もある。オオクワガタに馴染みのない人は、蝉の小便を思い出して欲しい。

 少し、複雑なものが笑いである。基本的には、前述の仕組みと同じだ。緊張の消失に伴う安心感や満足感の中での笑い、緊張を保っていた認識に突然のずれが生じ一気に緊張が解けて安心した時の笑いなどがある。前者は、赤ん坊の笑いやホッとした時に出る柔らかな笑いだ。後者は、ジョーク、ユーモア、ウィットなどで、高度に選別されている。謎掛け遊びの中にも潜んでいる。単なるストレス解消から、人生を楽しくするもの、人付き合いでのトラブルを避けるものまである。文化的にも、社会的にも、とても大切なものだ。
さらに、笑いは複雑である。社会的な意思表示として、意識的に作ることもある。これらには、他の感情も入り混じっている。笑って、逆に、それに相応する心の状態を作るのだ。愛想笑い、作り笑い、ネガティブなものでは、嘲笑などが考えられる。
笑いとは、体の動作と心の状態が繋がって循環運動をしているものだ。どちらが先でも構わない。笑う門には福来たる。心が笑えば、体が健康になる。体が笑えば、ストレスから解放されて、心が健やかになる。

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